麦飯おにぎり半分こ 語り継ぐ記憶、寺西敦子さん

和歌山大空襲から10カ月が過ぎた頃、当時和歌山市和佐に住んでいた寺西さんは祖母やその友人たちと一緒に、和歌山駅から市駅方面へと歩いて向かった。
現在のけやき通り周辺は一面の焼け野原で、本町付近にビルの残骸がぽつりぽつりと残るだけの光景だった。
市駅の少し焼け残った場所にたどり着き、駅の隅でようやく弁当を広げた、その時だった。
空襲で親や家を奪われ、食べるものも着るものも無くさまよっていた戦災孤児の集団が、すさまじい勢いで目の前に群がってきた。
「服は破れてぼろぼろで、お風呂にも入っておらず顔は真っ黒け。年齢はうちらと同じくらいか、少し大きい子もいました。みんな死に物狂いの形相でした」
その惨状を前に、祖母は「かわいそうに」と涙をこぼした。そして、迷うことなく自分たちの弁当を全て差し出した。
寺西さんの前にも、一人の女の子が立った。持っていた大きな麦飯おにぎりと卵焼きを半分こして渡すと、「ありがと」とその子は言って大喜びで食らいついた。
手にしたおにぎりのぬくもりと、女の子の笑顔。あの子はその後、どうなったのだろうか。心に焼き付いた光景を、寺西さんは81年たった今も忘れることができない。
「戦争は、体験した者のみが知る恐ろしく悲惨なものです。平和な今だからこそ、あの地獄のような光景を繰り返してはいけないと、命の限り叫びたいのです」


