戦火の人々の遺留品発見 県医大参加の沖縄戦遺骨収集

遺骨収集事業について報告する(左から)野一色さん、下枝さん、宗川さん、近藤教授
遺骨収集事業について報告する(左から)野一色さん、下枝さん、宗川さん、近藤教授

和歌山県立医科大学医学部法医学講座の学生と教員が、太平洋戦争末期の沖縄戦で犠牲になった戦没者の遺骨収集事業に参加している。9回目となったことしは、昨年発見された、ほぼ全身が残る非常に珍しい埋葬骨と周辺の調査を継続して行い、年齢推定につながる新たな骨片や銃火器の一部など、戦火を生きた人々の生々しい痕跡が見つかった。

沖縄では1945年3~6月にかけて日米軍の激しい地上戦が民間人を巻き込んで行われ、約20万人が亡くなったとされる。日本の軍人や民間人は「ガマ」と呼ばれる自然洞窟や山中などの過酷な環境での生活と戦闘を余儀なくされ、現在も2600人以上の遺骨が見つかっていない。

同講座の近藤稔和教授が理事長を務める日本法医病理学会は、沖縄戦の遺骨収集を行う地元ボランティア団体「ガマフヤー」の依頼を受け、2018年から遺骨収集事業に参加。今回は、県立医大から学生6人を含む11人、他大学の研究者や学生を合わせて総勢35人が、8月16日に沖縄本島南端部の糸満市束里の山中やガマの内部を調査した。

今回は、埋葬骨と同一と思われる人物の舌骨と、大腿骨・脛骨近くの骨片を発見。舌骨は、左右両側の突起部分「大角」との接合が加齢とともに変化することが知られており、見つかった舌骨は両側とも大角がなく、割れた形跡もないことから比較的若年時の骨とみられ、昨年分かった20代後半から30代の男性との推定とも一致した。

治療痕のある歯と下顎骨、頭蓋骨の一部など、新たに3~4人の遺骨も見つかった。治療痕は銀色部分がニッケルクロム合金で作られ、金属が不足していた戦時中の地方や日中戦争後では困難な治療であること、海軍の軍艦内で治療が行われていたとの記録があることなどから、都市部や日中戦争以前の治療か、相応の地位にいた軍人だった可能性がある。

遺留品のうち銃火器関係では、使用済みと未使用を含む日本軍の小銃の薬莢が複数、米軍を中心に第2次世界大戦で広く使用された米国製の手榴弾(通称パイナップル)の安全レバー、火炎放射の痕跡が残る岩などが見つかった。

さらに、日本軍の支給品とみられる腕時計、指輪、樹脂製のボタン、殺菌・消毒に用いられたヨードチンキが入っていたとみられる薬液瓶も発見。指輪は指の骨の近くにあり、身に着けたまま亡くなった可能性が高い。

2年にわたり調査した埋葬骨について同学会は、平和教育などに生かすため、レプリカの作製など何らかの保存を糸満市に要請する。

遺骨収集事業に学生が参加する意義について近藤教授は、大学の講義で学んだことを「実際の現場で生かせる」ことが大きいとし、「自分たちが学んでいるものの重要さを実感できることは、医療人として大きな経験になる」と話す。

初めて遺骨収集事業に参加した医学部3年生の野一色郁武さん(32)は「蒸せるような湿気に覆われた山に戦没者の遺骨がまだ残されている事実を目の当たりにし、戦争というものが過去の点の一つの出来事ではないことを実感した」、同じく3年生の下枝ゆりさん(20)は「腕時計などの遺留品を見ると、亡くなった人々にも私たちと同じ生活があったことをすごく感じて、より心が苦しくなった」と振り返った。

3年連続で参加した5年生の宗川桃子さん(23)は「県立医大で法医学を学び、この活動に出合えて良かった。3回目の参加になり、毎回さまざまなことを考え、感じ方も深まってきたと思う。この活動の意義を後輩たちに伝えていきたい」と話していた。