徳川家康から拝領の脇差 水野家子孫が復元

徳川家康と紀州徳川家に仕えた水野家の17代目・水野孝治さん(72)=和歌山県白浜町=が、先祖が家康から拝領したと伝わる脇差を復元した。19日、家康を祭る紀州東照宮(和歌山市和歌浦西)で神前に報告する神事「奉告祭」が執り行われ、水野さんは「納まるべきところに刀が帰ってきた思いがする」と話した。今後は公共施設などで広く見てもらえることを希望している。

同町で警備会社を経営する孝治さんの15代前の先祖・水野重利は、母親が家康の生母・伝通院の姉で、家康とはいとこ同士。幼少から家康に近侍したが、元亀3年12月(1573年1月)、徳川領に侵攻した武田信玄との三方ヶ原の戦いで戦死し、これを悼んだ家康は、当時6歳だった重利の長男・連成(やすしげ)に脇差と陣羽織を与えたと伝えられている。

連成は一時、徳川四天王の一人・榊原康政に預けられ、成長の後は小田原攻めや関ヶ原の戦いなどに従軍。大坂夏の陣には紀州徳川家の祖・頼宣の下で参加し、紀州入国にも従い、三木町(和歌山市)に屋敷を構えた。

以後、水野家の代々は紀州藩に仕え、家宝の脇差は寛政年間(1789~1801年)までは存在したことが記録で確認できるが、失われてしまっていた。

孝治さんは、和歌山の孫子の代に家康ゆかりの脇差を伝えたいと、復元を決意。家に伝えられてきた脇差の仕様を記した古文書を基に、2019年3月、田辺市龍神村の刀工・安達茂文さん(63)=刀工名・龍神太郎源貞茂=に依頼した。

当初はあまりに難しい仕事だと感じた安達さんだったが、孝治さんの熱意と語り継がれてきた歴史に心を動かされ、「任せてください。(水野家の)ご先祖が降りてきて助けてくださると思います」と引き受けた。

古文書の記述から、鞘は黒の漆塗り、柄(つか)は銀の板の打ち出し、刀身を固定する目釘は銀製、柄の装飾金具である目貫(めぬき)には金の獅子があしらわれていたことなどが分かり、それぞれの職人が忠実な再現を目指した。

刀身は、室町時代の京都の刀工・信國の作と伝えられているというわずかな情報から、安達さんが打ち上げた。通常は失敗も考慮して3振りを打つが、今回の仕事は一度で完成したという。

依頼から2年、21年4月に脇差は復元され、紀州東照宮での奉告祭を迎えた。

神事は西川秀大禰宜が執り行い、孝治さんと家族、安達さん、仲介した井上直樹市議会議長らが参列。本殿の神前に脇差が供えられ、参列者は玉串をささげるなどして、東照大権現(家康)に復元を報告した。

孝治さんは「紀州には(同じ御三家の)尾張、水戸に比べて地元に残された資料が少ない。脇差とともに歴史の物語を残していきたい。多くの人に見てもらえるように展示が実現すればうれしい」と話していた。

 

復元された脇差を手にする水野さん㊨と安達さん