ミカンが結ぶ人の縁 青年団体と東北の交流14年

東日本大震災から、11日で14年がたった。和歌山市青年団体協議会(林祐司会長)の有志は被災地の宮城県に毎年ミカンを届け、現地で「みかん狩り運動会」を開くなど毎年交流を重ねている。昨年末にも14回目の訪問が実現。メンバーは「みんな楽しみに待ってくれている。千㌔という距離も、1年という時間も感じさせないほど、関係は深いものになっている。つらい記憶でなく、楽しく津波防災について考え、伝え合う機会になれば」と話している。
交流のきっかけは、2011年12月にメンバーが交流のあった石巻市の仲間のもとへ、ストーブとミカンを届けたこと。翌年からは県産ミカンをワゴン車に積んで東北へ向かうようになり、健康を維持してもらおうと現地で地域住民らに呼びかけ「運動会」を開いてきた。
今回は有志3人が12月28、29日に石巻と仙台の2カ所を訪問。用意したミカンは、メンバーの購入分に寄付を含め127箱(1・27㌧)。石巻の会場には約80人、仙台には約60人の住民が集まった。
「運動会」は、ミカンをおたまに乗せて運んだり、股の間を通したりするリレー、クイズやじゃんけんを交えたものなど、楽しく競いながら「賞品は全てミカン」という仕組み。
交流を始めて間もない頃、当時はミカンを食べられなかった赤ちゃんも、今では大きく成長。おいしそうに頬張っているのを見ると、メンバーは時の経過を感じるという。
和歌山でも、南海トラフを震源とする巨大地震の発生が懸念される中で、同協議会では震災を忘れず、津波の恐ろしさを伝えることの重要性を痛感。和歌山市の片男波海水浴場に津波の高さを示す看板を設置し、「稲むらの火の館」(広川町)が、津波被害を受けた石巻市の大川小学校にサルスベリを植樹するのを仲介するなどしてきた。
昨年春には、宮城のメンバーが和歌山市を初めて訪問。8月に初めて「南海トラフ地震臨時情報」が発表された際にも、東北から和歌山を気遣う電話があったといい、同協議会の高垣晴夫さん(62)は「『和歌山で何かあった時は行くよ』と言ってくれる。遠くにいても、お互い人ごとではなくなっている」と話す。
有田川町賢に原点 石巻でのミカン流通
今回、メンバーはミカンを通じた和歌山と石巻の思いがけない縁を知ることとなった。
振る舞われたミカンの中には、有田川町の賢(かしこ)地区で、農家の林忠明さん(81)が育てた木から、「震災を知らない子どもたちも、語り継ぐきっかけに」と和歌山の小学生が収穫したものもあった。
この賢地区で栽培されたミカン(通称マルケンみかん)が、石巻で和歌山のミカンが知られるきっかけになったという。高垣さんによると、和歌山県産のミカンが石巻市に伝わったのは約50年前。林さんが石巻青果に持ち込んだことで、市場取引が始まり、マルケンみかんや有田みかんの流通につながった。
高垣さんは東北で「林さんから、『石巻に心を寄せているというメッセージを預かってきた』」と紹介。人と人のつながりが今日に至っていることを伝えた。
「ミカンを通じた交流の原点に、賢のミカンがあったことに感動した。今回の林さんとの貴重な出会いも、交流を続けてきたからこそ、分かったこと」と高垣さんは感慨深げに話している。
ミカンはこの他、廃炉作業が進められている福島第一原発、児童養護施設などにも贈った。