戦後80年、語り継ぐ記憶④ 岩本富紗子さん


家は駿河町にあった。父は徴兵で信太山の連隊、7歳上の兄は学徒動員で播磨造船に。家には母と祖父母と私だけだった。1945年7月9日の「和歌山大空襲」の日は空襲警報が出て、京橋の下にあった共同の防空壕に4人で逃げた。中には10人ぐらいいて、入ろうとした瞬間、入り口に焼夷弾が落ちた。「こんなとこにいたらあかん! 川に入れ」という声を聞き、市堀川の中へ。流されないよう杭にしがみついた。火を避けるため頭からぬれたむしろをかぶせられ、重くて首が痛かった。朝まで川に漬かり、明るくなって周りを見渡すと、ぶくぶくに膨れた死体がいっぱい浮いていた。川から出ると、飛行機が私たちの方に飛んできて銃を向けた。怖い。とっさに死んだふりをしたら去った。

ずぶぬれの体は知らないうちに乾き、道に出ると歩けないほど死体の山。そんな中を歩き、北島橋を渡り、おにぎりを配っている福島小学校に行って食べた。一日何も口にしていなかったから、ものすごくおいしかった。

川を流れる死体、道に積み重なる真っ黒に焼け焦げた死体の光景は記憶から消えず、何年もの間夢に出てきてうなされ続けた。