58歳で夢のプロレスラーに 和歌山市の吉田篤生さん

闘志あふれる吉田さん
闘志あふれる吉田さん

闘志むき出しで戦う58歳がいる。9月にプロレスラーとしてデビューを果たした和歌山市の吉田篤生さん。毎日仕事が終わってから厳しいトレーニングに励み迎えた初戦。結果は引き分けだったが「勇気と感動をもらった」と会場は大きな声援と拍手で沸いた。吉田さんは「めちゃくちゃ緊張したけど、憧れのリングに立ててうれしかった」と少年のように目を輝かせる。

本業は3代目社長

吉田さんは紀の川市貴志川町でニット・織物・資材用糸の染色加工を手がける吉田染工㈱の3代目社長。社員数は40人。1990年代にいち早く染色工程の完全自動化を実現し、製品開発など先進的な取り組みを行っている。

吉田さんは幼い頃からプロレスが好きで、中学、高校、大学時代は、前田日明に憧れ、プロレス団体UWFの試合を夢中で観戦。夢は「プロレスラーになること」だった。

大学卒業後は現実を見据え、大阪の商社に就職。その後、和歌山に戻り、33歳で家業を継いだ。

仕事に明け暮れ、運動とは無縁の日々日々を過ごし20年が過ぎた頃、気付けば体重は122㌔を超えていた。

かっこいい父親に

ダイエットを決意したのは8年ほど前。中学生だった長女を迎えに行き、遠くから声をかけると、大勢の友達に囲まれていた娘に無視された。1人になってから駆け寄ってくる娘を見て「お父さんって知られるのが嫌なのかもしれない」と傷付いたが、「それならば友達に自慢できるかっこいいお父さんになろう」とダイエットを始めた。

1年で約50㌔の減量に成功。しかし、急に痩せたため肌はたるんでブヨブヨに。筋トレで引き締まった体をつくろうと自己流でトレーニングをしたが、鍛え方が分からず肘を痛めてしまった。

「プロに習おう」と、パーソナルトレーナーを探すと、かつてUWFのスター選手で、現役のレスラーでもある船木誠勝さん(56)がマンツーマンで肉体改造指導などを行う大阪のジムを見つけ、心をときめかせながら、昨年5月から通うようになった。

憧れの船木さんから教えられることのうれしさから、真面目に一生懸命にトレーニングに取り組んだ吉田さん。試合を見に行くなど交流を深めていたある日、船木さんから「デビュー40周年記念大会があるけど、出てみない?」と声をかけられた。

吉田さんは「こんな機会はまたとない。うれしくて、後先考えず『やります!』と即答した」と振り返る。

緊張のデビュー戦

大会の開催日は9月21日。ことし2月に筋トレから格闘技の練習に切り替え、懸命に励んだ。仕事が終わった後は、筋トレとウオーキングで体を鍛えた。

大阪・梅田ステラホールで開催された同大会当日、前田日明、藤原喜明ら、船木さんの盟友が祝福に駆け付け、約1000人の観客で満席に。吉田さんは2分1ラウンドのエキシビションマッチに出場。入場を待つ間、震えるほど緊張していたといい「藤原喜明さんがおなかにパンチを入れてくれ、緊張をほぐしてくれて感動した」と笑う。

堂々としたファイトを見せた吉田さんの勇気とチャレンジ精神に、観客から割れんばかりの「篤生コール」が湧き起こった。

吉田さんは「試合中は無我夢中で必死だった。終わった後、同世代の人たちが『感動した』と涙を流しているのを見て、うれしかった」と話す。

吉田さんのデビューを誰よりも応援しているのは、家族。特に21歳になった長女は試合に出ることを喜んだという。

吉田さんは「いくつになってもやればできる。やらなければ始まらない」と笑顔で話す。

次は12月21日の第2戦が決まっている。厳しいトレーニングを続け「70歳を超えても現役のプロレスラーがいる。もっともっと強くなりたい」と高みを目指す。

デビュー戦(撮影:十番丁西本写真館の西岡崇代表)
デビュー戦(撮影:十番丁西本写真館の西岡崇代表)