近代医学主導・松山棟庵の生家再生へ 子孫が奔走

荒廃した生誕地の再生に挑む松山さん
荒廃した生誕地の再生に挑む松山さん

福澤諭吉の主治医を務め、東京慈恵会医科大学の前身を設立した医師・松山棟庵(1839―1919)の生誕地、和歌山県紀の川市桃山町で、一族が暮らした明治時代の貴重な建物や生活の跡を保存する整備が進められている。棟庵の兄から数えて5代目の子孫にあたる松山忠弘さん(61)は「先祖が守り抜いた歴史を終わらせてよいとは思えなかった」と老朽化した屋敷跡の再生に向け、クラウドファンディング(CF)による支援を呼びかけている。

近代医学教育を主導

松山棟庵は幕末、代々医師を務める庄屋・松山家の四男として生まれた。紀州藩の選抜留学生として江戸の慶應義塾で英学を修め、福澤諭吉の厚い信頼を得て主治医となった。福澤の最期をみとったことでも知られている。

1871年(明治4)には大学東校(現東京大学医学部)の大教授に就任。福澤が米国から持ち帰った英文医書を翻訳した『窒扶斯(チフス)新論』は、日本初の英語医学翻訳書として出版された。

また、東京慈恵会医科大学の前身となる成医会講習所を設立し、慶應義塾医学所の初代校長を務めるなど、近代医学教育の体制確立を主導した。

400年以上の歴史を持つ松山家は、多方面で地域を支えてきた。

家督を継いだ棟庵の兄の管吾は、初代伊都郡長を務める傍ら地域医療の充実に尽力。13代当主の誠二も同地で地域医療に従事した。敷地内には、明治期の地域医療と地方行政が密接に関わっていた歴史を伝える母屋「黄雨楼(こううろう)」が現存している。

30年間空き家状態

歴史的な価値を持つ同邸だが、一族がこの地を離れて以降、約30年間にわたり空き家状態が続いていた。遠方に住む親族による管理も限界を迎え、約5年前まで敷地内は倒壊した廃材と雑木が密集し、立ち入りが困難な状態だった。

2022年には、母屋の屋根に直径約1㍍の穴が開き、大黒柱はシロアリ被害で消失しているのを確認した。専門業者から「ことしの梅雨は持たない」と言われるほど絶望的な状況だった。

松山さんは「日本の近代医学が始まった場所。ここで受け継がれてきた『医の志』を絶やすわけにはいかない」と決意。

つるはしとシャベル、一輪車を使い手作業で廃材を片付け、私財を投じて屋根、大黒柱、鴨居の補修を行うなど、たった一人で現場を守り続けてきた。現状では荒廃を止める作業で精いっぱいの状況だという。

地域の交流拠点に

今回のCFで募る支援金は、こうした個人による応急処置を、組織的な「恒久保存」へとつなげるための資金となる。松山さんは修復後の具体的な活用案として、「建物を一般公開し、一族が残した貴重な医学資料を展示するだけでなく、誰もが利用できる多目的スペースとして貸し出したい」と話す。具体的には、母屋の本格的な屋根修繕や構造補強を施した上で、大学生の合宿やゼミ、地域の学習会、さらにはリモートワークができる「学びの拠点」としての運用を想定。「単に古い家を眺めるだけでなく、実際にこの空間で時間を過ごし、棟庵たちが抱いた高い志に触れてもらうことで、地域に新しい活力を生む場所にしたい」と話している。

CFの目標金額は100万円。締め切りは6月15日。詳細はCFサイト「CAMPFIRE」のプロジェクトページで確認できる。

松山さんの日々の活動はインスタグラム・松山棟庵プロジェクトで発信している。

問い合わせは松山さん(メールn09012401521@ezweb.ne.jp)。

日本の近代医学の礎を築いた松山棟庵(松山さん提供)
日本の近代医学の礎を築いた松山棟庵(松山さん提供)