火の海が迫った夜 語り継ぐ記憶、日高三津子さん

防空壕から避難した体験を語る日高さん
防空壕から避難した体験を語る日高さん


いつもの街が、一瞬にして逃げ場のない地獄へと変わった。1945年7月9日の「和歌山大空襲」の夜、日高さんは防空壕から防空壕へと追われるように避難した。頭上から降り注ぐ焼夷弾の熱と、泣き叫ぶ人々の声が今も脳裏から離れない。

当時小学校2年生だった日高さんは、和歌山市小野町の自宅近くで空襲警報を耳にした。近くの防空壕へ逃げ込んだが、焼夷弾の猛攻が激しさを増し、内川の土手にある兵隊用の防空壕へと身を寄せた。しかし、容赦なく焼夷弾が降り注ぎ、その防空壕も危険極まりない状態となった。

「内川の向こうから、火の海が猛烈な勢いで迫ってきたんです。熱い、熱いと泣き叫ぶ声も聞こえて…」

ここも危ない、これ以上いれば命はないと判断した母親と兄、姉、そして日高さんは、猛火の中をさらに逃れるため、必死の思いで内川を渡った。兄と姉は大きな船に乗せられ、日高さんは母と小さな和船で逃げ延びた。はぐれてしまった家族と再会できたのは、翌日のことだった。

翌日、焼け野原となった市街地を抜け、日高さんは市役所近くで配られるおにぎりを求めて歩いた。電信柱のそばには、黒焦げになった人々の遺体が転がっていた。「見たらあかん」と母に言われ、母の手を強く握りしめ、目を閉じて歩いた。食べるものすらままならない過酷な日々の中、市役所で久しぶりに口にした白いご飯のおにぎりは、驚くほどおいしく感じられた。

「今の若い人たちがテレビで見る爆撃の映像は、当時の私には現実そのもの。早く話し合いで解決してほしいと、ただ祈るばかりです」