大奥の庭園跡を発掘 和歌山城

 かつて紀州藩主が生活した和歌山市の和歌山城二の丸北西部で18日、発掘調査を進めている市が、成果を公表する現地説明会を開いた。本年度の調査では、文政8年(1825)の絵図に描かれた大奥中庭の庭園の遺構や、徳川家以前の城主だった浅野氏時代の石垣の一部などが新たに確認され、訪れた歴史ファンら約200人が熱心に見学した。

 市によると、平成20年度から、藩主が生活した「大奥御殿向(ごてんむき)」に当たる二の丸北西部を発掘調査し、24年度までに大奥内部と周囲の通路部を区画する土塀の基礎石組や排水施設、奥庭の庭園施設などを発見している。本年度は、文政8年の絵図「和歌山二ノ丸大奥当時御有姿之図」に描かれた大奥中庭に当たる箇所を調査。江戸時代後期の石組池や玉石敷などの庭園施設、中庭を囲む建物の礎石などが確認された他、絵図にはない江戸中期の水琴窟とみられる遺構や瓦積みの井戸、江戸初期の浅野氏時代の石垣の一部なども見つかった。

 石組池は東西16・6㍍、南北7・2㍍、「心」の草書体に形を似せた「心字池(しんじいけ)」とみられ、幅2~2・5㍍の溝がS字を描くように造られている。中庭は、池を中心にして周囲に園路を巡らした「池泉回遊式庭園」と呼ばれる形式となっている。同センターは「江戸時代後期の藩主の生活に関わる重要な遺構と考えられる」としている。

 説明会では、調査を行った市文化スポーツ振興財団埋蔵文化財センターの北野隆亮センター長が遺構について解説。庭園に用いられた石が熊野や友ヶ島、雑賀崎など県内各地から運ばれたとみられること、庭園の配置が藩主の眺める位置を中心にしていることなどを伝えた。

 説明会に参加した和歌山大学3年の中川朋樹さん(21)は「絵図が残っているので説明を聞きながら当時の風景が想像しやすく、面白かった」と話していた。