備長炭/10年かけ技術指導へ 栗栖さんミャンマーに出発

 和歌山が誇る炭の最高峰「紀州備長炭」の技術を伝えるため、和歌山市西庄に窯を構える炭焼き歴34年の熟練職人、栗栖秀幸さん(66)が、今月20日に東南アジアのミャンマーに出発する。同国でも最も貧しい山岳地域に10年間の計画で住み込み、長年培ってきた紀州の伝統技能を生かし、現地に新しい産業を興すために奮闘する。 

 栗栖さんが向かうのは、ミャンマー北西部、インドとバングラデシュに国境を接するチン州の標高約2000㍍の山岳地域。外務省によると、交通アクセスの悪さから政府や国際社会の支援が非常に入りにくく、同国内で貧困率が最も高い州となっている。

 電気やガスなど基礎インフラもない地域での技術指導を栗栖さんが決めたきっかけは、ODA(政府開発援助)でチン州の道路建設に携わる友人から現地の山の写真を見せられたこと。日本と植生がよく似ており、備長炭の原料となるウバメガシがありそうな山であることは一目で分かった。

 友人の求めに応じて、先月2日から14日にかけて現地の山を直接見に出掛けると、やはりウバメガシが自生し、炭に適する樹齢30~40年程度のものも多数あった。面会した州の農林業担当大臣に上質の炭の原料があることを伝えた際、大臣から「ぜひ作り方を教えてほしい」と強く要請された。

 そのわずか1カ月後に現地へ出発するという即断即決。栗栖さんは「向こうの人たちはあまりにも貧しい。何とかしてあげたいと思った」と話す。現地は靴も履いていない人が多く、家々はすきま風が吹いて寒かった。栗栖さんには、戦後の復興がまだ進んでいない自身が4、5歳のころ、炭を焼く父の仕事を見て過ごした時代の光景と同じように見えた。

 備長炭製造会社、㈱紀州燃料を昨年2月、息子の光司さん(37)に譲ったことも決断を後押しした。秀幸さんはかつて、中国・福建省やベトナムでも長期にわたって技術指導を行った経験があり、光司さんは父のミャンマー行きにもそれほど驚きは感じなかった。「本人がやる気になっているので、思う存分やってきてくれたらいい。向こうの人のためにもなればうれしい」と背中を押す。

 秀幸さんは、現地でまず炭焼き窯を8基ほど作り、多くの職人が技術を学べる体制を整える。炭作りが定着すれば、自給自足の地域に新しい産業が生まれることに加え、窯の燃焼熱を利用したスチーム発電によって、電気のない現地に明かりをともすことも計画している。

 「炭焼きが軌道に乗れば、次は和歌山の柿を植えて作りたい。いつかは和歌山とチン州が姉妹都市になるかもしれない」。未来への夢を膨らませながら、秀幸さんの新たな挑戦が始まる。