興山寺本堂が国登録文化財に 桃山
国の文化審議会は、紀の川市桃山町最上の興山寺本堂を含む全国166件の建造物を、新たに国登録有形文化財とするよう文部科学大臣に答申した。同寺本堂は文化財の仏堂としては新しい明治時代のものだが、軒下の精緻な組物や彫刻、堂内の天井の造りが華やかな建築表現であることなどが評価された。これにより県内の登録文化財(建造物)は69カ所、186件となる。
興山寺は真言宗御室(おむろ)派の寺院。高野山中興の祖・応其(おうご)上人の命で、弟子の覚栄により、天正18年(1590)に創建された。本尊は不動明王で、本堂仏壇には応其上人坐像(同市指定有形文化財)を安置している。
本堂は三間堂、宝形(ほうぎょく)造、本瓦ぶき。屋根裏に残された棟札から、明治22年に建設されたことが分かり、橋本市清水の大工・中井弥助が建て、鋳物は堺市の鋳物師・西岡弥三郎が手掛けたとされる。
構造の中心となる丸柱は24㌢径、貫で固めている。木鼻は牡丹(ぼたん)の精緻な籠彫りで内部まで彫り抜かれ、上質で珍しいという。内法貫(うちのりぬき)の上は蟇股(かえるまた)彫刻が施されている。軒を支える組物は出組の形式を詰め組にしたもので、拳鼻に獅子の彫刻がされ、軒下周りは華やかな造りをしている。
室内の天井は上質なヒノキ材を使い、中央部が一段高くなる「折上小組格天井」。緻密で手の込んだ造りで見応えがある。
明治期、仏教を排斥する廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で仏教寺院が打撃を受けた中、繊細で華やかな建築表現が特徴とされる。