国際気球委の殿堂入り 山田猪三郎シンポ

和歌山市出身の日本航空界の先覚者・山田猪三郎の、国際航空連盟の国際気球委員会が定める功労者殿堂入りを記念したシンポジウムが16日、和歌山市本町のフォルテワジマ開かれた。特別講演した猪三郎のひ孫で、気球製作所(東京)の豊間清社長(63)は「『おめでとう』の言葉をたくさん頂きましたが、和歌山の猪三郎なので、逆に皆さんにおめでとうございますと言いたい気持ちです」と感謝を伝えた。

市民グループ「Jプロジェクト」(神保紀代子代表)が主催。約60人が功績をたどり、郷土の先人に思いをはせた。

猪三郎は、現在の救命胴衣の先駆けとなるゴム製救命浮器を発明し、後に気球を製作。日本初の飛行船を完成、初飛行を成功させた人物。

豊間社長は講演で、殿堂入りの経緯を説明し「和歌山は私にとって第二の故郷。曾祖父1人で成し遂げられたことでなく、多くの方のご支援があったから」と話した。

猪三郎が亡くなった後も、その技術や精神は受け継がれ、猪三郎が創業した同社が手掛ける気象観測用ゴム気球などが、気象庁や防衛省、大学の研究機関など、世界各地で気象研究に使われていることを紹介。「曾祖父の口ぐせは『技術報国』でした。その心を忘れず、社会のお役に立つものをつくるという供給責任を果たしていきたい」と今後への思いを語った。

シンポジウムではこの他、山田猪三郎顕彰会の小林護さんと、元わかやま新報記者の乗杉千佳さんが、顕彰事業を振り返ってトーク。猪三郎の伝記絵本制作者の3人が、それぞれ思いを語った。

このうち、福島節子さんは、猪三郎製作の飛行船の浮揚実験に搭乗した女性新聞記者の、生き生きとつづられた空中体験記や回想録を紹介した。

来場した同市の50代の女性は「豊間社長の『和歌山の猪三郎』という言葉が、とてもうれしかったです。和歌山の子どもたちが、偉大な先人にふれる機会がもっと増えればいいなと思います」と話していた。

猪三郎の発明を紹介する豊間社長

猪三郎の発明を紹介する豊間社長