伊勢路旅(29)三重県度会郡玉城町②

前号では、三重県度会郡玉城町にある、かつて紀州藩が治めていた「田丸城」の歴史を取り上げた。今週は田丸城に縁が深くこの地域に多大な貢献をした人物を紹介したい。

田丸城の築城から明治維新までの歴史は前号のとおりであるが、明治2年(1869)に廃城となり、以後長らくの間、国有林として管理された。

昭和3年(1928)、城跡が払い下げられることとなり、玉城町出身でかつては紀州藩旧田丸領に仕えていた村山龍平(むらやま・りょうへい)氏(1850―1933)の寄付により町有となり、町民に開放された。

村山龍平氏は朝日新聞の創刊に携わった経営者としてご存じの方もいらっしゃるだろう。明治維新後、一家で大阪へ移住し父親と共に商いをはじめ、明治11年(1878)に大阪商法会議所(現在の大阪商工会議所)の議員に選ばれ、翌年、朝日新聞を創刊。以後、衆議院議員や貴族院議員を歴任。玉城町名誉町民として地域が誇る偉大な人物だ。

田丸城跡の寄付に加え、没後の昭和12年(1937)には三重県で初めての50㍍プールを田丸城跡のほど近くに寄贈。日本の古式泳法の一つで紀州藩古来の小池流古式泳法の指導や、町民のスポーツ活動の場として現在も町営プールとして親しまれるなど、地域への貢献は多大なものだ。

来月7日に開幕する全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)の創設を決断したのも村山龍平氏である。第1回大会では朝日新聞社の社長として開会式の始球式を務めたという。高校野球の礎を創った功績がたたえられ、昨年、野球殿堂特別表彰者に選出されている。

明治・大正・昭和の激動の時代を先駆者として活躍された紀州藩出身の村山氏の功績に、私たち和歌山県民もふれてみてはどうだろう。

田丸城跡の程近くに建つ記念館

田丸城跡の程近くに建つ記念館

(次田尚弘/玉城町)