伊勢路旅(38)三重県伊勢市②

前号では夫婦円満、良縁成就のスポットとして知られる夫婦岩がある三重県伊勢市の二見興玉神社をお伊勢まいりの起点として参拝する浜参宮を取り上げた。今週は伊勢神宮を支えてきたこの地域に息づく奉仕の文化を紹介したい。

原則として20年ごとに伊勢神宮で行われる式年遷宮(しきねんせんぐう)をご存知だろう。西暦690年の第1回に始まり、途中戦乱により幾度かの中断や延期があったが直近の2013年まで62回に渡り行われてきた。

遷宮の実施においては1万本以上のヒノキが使われ、用材を切り出す山を御杣山(みそまやま)という。第34回(1400年代)までは近隣の山々であったが、内宮は第35回から三河国、外宮は第36回から美濃国に移り、第41回から46回までは紀州藩領の大杉谷(現在の多気郡大台町付近)が御杣山となった。

しかし原木の不足や切り出しが難しい地形であったことから第47回から以後300年に渡り尾張藩の木曽谷に移されている(第51回のみ大杉谷)。徳川家の歴代将軍は家臣に自らの代理として神宮に参拝させ太刀や馬を奉納するなど信仰が厚かったとされる。

切り出された用材は、内宮へは川曳(かわびき)で、外宮は陸曳(おかびき)で奉納される。川曳の際は用材に取り付けた縄を市民が曳きながら五十鈴川を進み、陸曳の際は奉曳(ほうえい)車という台車に用材を載せ川曳と同様に市民が運搬する。これらの行事は「お木曳行事(おきひきぎょうじ)」といい、国の選択無形民俗文化財に指定。伊勢神宮の門前町に住む住民(かつては神領民と呼ばれた)のみが参加できるものであったが、近年は神宮を崇敬する者であれば「一日神領民」として参加できる。

伊勢神宮の門前町として息づく奉仕の文化がここにある。

(次田尚弘/伊勢市)