ロンドン大名誉博士に 能楽師の松井さん
能楽の国際的な普及に貢献したとして、和歌山市東高松の喜多流能楽師・松井彬さん(70)に、イギリスのロンドン大学ロイヤルホロウェイ校から、名誉博士号が授与された。能楽界では初の栄誉。松井さんは「伝統ある大学で、日本人が認めていただいたことは、大変名誉なことで光栄。これからも挑戦を続けたい」と話している。
松井さんは6歳から和島富太郎氏に能を学び、13歳で喜多流宗家・喜多実氏の内弟子に。20代で独立し、喜松会を発足。県内では「けんぶん能」や「市民能」、「日前宮薪能」や「和歌の浦万葉薪能」などに出演し、地元の文化振興に寄与してきた。
平成10年に文化庁の重要無形文化財総合指定を受け、和歌山市文化賞、県文化功労賞などを受賞している。
海外に目を向けるきっかけは、20代の頃、和歌山市の姉妹都市のカナダ・リッチモンド市と米国ベイカースフィールド市へ、親善使節の一員として渡ったこと。地元では能の愛好者の広がりに限界を感じる中、「誰もやったことのない未踏の地を開拓したい」と、挑戦の場を海外へ向けた。
これまで訪れた国は100カ国を超える。海外公演では、異分野とのコラボレーションにも積極的に取り組み、その国の歴史や文化などを踏まえ、受け入れられやすいかたちで能を紹介してきた。
2006年にはリッチモンド市で、和歌山からの移民の悲哀と望郷を表現した英語能『かもめ』に出演し、国際演劇協会の内村直也賞を受賞した。昨年はオーストラリアのシドニー大学で、英語能『オッペンハイマー』を指導し、出演。広島に投下された原爆の開発を主導したアメリカの物理学者・オッペンハイマーの罪や悔悟を表現した作品は高く評価され、広島での上演も模索されている。
米国50州のほとんどの州立大学で指導。今回、名誉博士号を授与したロンドン大学は約30年前から能楽を授業に取り入れ、学内に能舞台があるほど。松井さんは15年ほど前から同大ソアーズ校で、4年ほど前からロイヤルホロウェイ校で講義を担当。1年間のうち、約3週間滞在し、謡や仕舞を指導する。
日本文化への学生たちの関心は高く、松井さんは基本に忠実に伝えることを大切にしているという。
「日本人でなければ内面的な情緒が表現できないというものではありません。海外では前衛的な芸術と捉えられ、外国の方は感性で体得しようとします」
ロイヤルホロウェイ校からは「多数の異文化プロジェクトの参加や、世界中での能パフォーマンスの活躍で、国際的な能楽師として能の国際理解に貢献した」と高く評価された。
松井さんは「守破離(しゅはり)という言葉があるように、守ることも大切ですが、継承するために開拓していくことも重要だと思うんです」と話す。
来年2月にはロンドンで、オペラ歌手らを迎えて、サミュエル・ベケット作『ロッカバイ』の公演を控えている。
一方で「日本の国の良さや伝統が崩れかけている。伝統や歴史をもう一度見直し、『能はなくなっても外国で残った』ということにならないよう、頑張らないと」と危機感を募らせる。
ユネスコの無形文化遺産に指定され、世界的に認められた日本の伝統芸能「能楽」。松井さんは「理想的なのは、世界のミュージカルやオペラのようになること」と話し「生きた芸能だというのを示す必要がある。能を骨董(こっとう)品のように見るのではなく、守るためにチャレンジを続けていきたい」と思いを新たにしている。