家康紀行⑰無形民俗文化財「遠州大念仏」
前号では浜松市の「布橋」という地名の由来とされる「犀が崖(さいががけ)古戦場」を取り上げた。崖下から聞こえる人馬のうめき声や付近で起きる不幸な出来事に対し、家康が講じたとされる奇策を紹介したい。
一連の原因を武田軍のたたりであると考えた家康は、三河から了傳(りょうでん)という僧侶を招き7夜にわたり鐘と太鼓を鳴らし供養した結果、たたりは収まったという。
以後、家康は鐘と太鼓を鳴らす「念仏踊り」を推奨し、その際に三葉葵の紋が付いた羽織を着ることを許したという。さらに了傳の後を継いだ宗円という僧侶が遠州地方の広域に布教を行ったことから「遠州大念仏」として各地で盛んに行われるようになり、約280の地域で行われていたという。
三方ヶ原の合戦での戦没者を弔うために始まったものであるが、やがて初盆を迎える家の庭先で大念仏を演じるという風習が根付き、浜松市は遠州地方の郷土芸能として昭和47年3月、無形民俗文化財に指定されている。
大念仏は30人を超える隊列を組み、頭先(かしらざき)と呼ばれる隊の責任者のちょうちんを先頭に、笛、太鼓、鐘、歌い手の声に合わせて行進する。一行が初盆の家の庭先に入ると太鼓を中心に、双盤(そうばん)と呼ばれる並列につり下げた2個の鐘を撞木(細い布を束ねたもの)でたたく独特な楽器を置き、音頭取りに合わせて念仏や歌枕を唱和。踊るようにして太鼓を勇ましく打ち鳴らし故人の供養を行うというもの。現在も約70の組が保存会を形成し活動を続けている。
犀が崖古戦場近くには遠州大念仏と三方ヶ原の合戦を紹介し、郷土の文化遺産の継承を目的とした資料館がある。興味がある方はぜひ訪れてほしい。
(次田尚弘/浜松市)