家康紀行(63)草薙剣を祭る熱田神宮

前号では、価値ある古文書を後世へ残そうと、名古屋城築城時に家康が取り組んだ「大須観音」移転の歴史を取り上げた。今週は、大須観音と同じく名古屋市民から信仰を集める熱田神宮(あつたじんぐう)を紹介したい。
熱田神宮は名古屋城から南へ約6㌔の熱田区に位置する。年間670万人もの人々が参拝に訪れる名古屋を代表する神社。
熱田神宮には古事記や神話に登場する日本武尊(やまとたけるのみこと)が持っていたとされる、三種の神器の一つ、草薙剣(くさなぎのつるぎ)が祭られていることで知られる。
日本武尊が亡くなった際、神剣を現在の名古屋市緑区に留め置いていたことから、妃である宮簀媛命(みやすひめのみこと)が熱田神宮へ神剣を祭ることにしたという。
創建から1900年を超え、平成25年には1900年大祭が開かれた。約6万坪におよぶ境内は厳かで、全国から多数の崇拝を集めていることが分かる。
永禄3年(1560)織田信長が桶狭間へ出陣の際、必勝祈願に訪れ、戦いに勝利した御礼として塀を奉納したとされ、信長塀の名で120㍍程度現存する。
天文16年(1547)から約2年の間、家康(竹千代)は熱田の地に暮らしている。松平から駿府の今川へ人質として預けられることとなった竹千代であるが、途中でさらわれ織田の配下に置かれてしまう。俗に言う「竹千代事件」。織田信秀の命により、この地の有力者であった加藤順盛(のぶもり)の屋敷に預けられ、この地で2年を過ごしたという。
中部地方には、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3武将を顕彰する「三英傑(さんえいけつ)」という言葉がある。熱田は三英傑に縁の深い土地。神宮に秘められた力を感じてほしい。
(次田尚弘/名古屋市)