戦争なき世界を 和歌山大空襲73年の慰霊祭
和歌山大空襲から73年を迎えた9日、和歌山市戦災遺族会(衣笠幸治理事長)は西汀丁の汀公園で市戦災死者追悼法要を行った。遺族ら約150人が出席し、戦没者の冥福を祈り、次世代を担う若者たちが不戦を誓った。
1945年(昭和20)7月9日、深夜から翌日未明にかけて米軍の爆撃機B29が飛来。多量の焼夷弾が投下され、避難所となっていた旧県庁跡(現汀公園)に避難した748人が犠牲になった。この惨事を含め、市内は太平洋戦争中、十数回の空襲に見舞われ、約1400人の犠牲者が出た。
法要で衣笠理事長(89)は「今も目を閉じれば、戦禍の中を逃げ惑う人々や灼熱の熱さから逃げるためにお堀に飛び込む人々の凄惨な光景が、まぶたの奥に鮮明に焼き付いている。平和と繁栄は戦争で亡くなった方々の尊い犠牲の上にあることを忘れることなく、悲惨な戦争の教訓を後世に語り継いでいかなければならない」とあいさつ。
和歌山大学付属小学校の児童3人が「戦争は心の中に大きな傷を残した。一人ひとりが努力して自分たちの未来を切り開いていくことが平和だと思う。そういう未来になるように日々歩んでいきたい」と平和への願いを読み上げ、市内の小中学校から伏虎義務教育学校の4人、八幡台小の6人、和大付属中の8人が千羽鶴を奉納した。
当時、八番丁で空襲を経験した有田市の90代女性は「戦ってしまったら勝ち負けが生じる。戦わずに、お互い協力し合って助け合っていくことが大事だ」と熱を込めて話した。