北方領土は日本固有 中学生研修リポート㊤

北方領土問題を身近に捉え、理解と関心を深めるため、和歌山県内の中学3校の生徒20人と教諭ら計28人が4~6日、北海道根室市などで行われた研修に参加した。元島民の講話や北方領土返還要求根室市民大会を通じて、北方領土が「日本固有の領土」であることを学んだ生徒たち。本日から3回シリーズで北方領土問題を振り返り、研修の様子などを紹介していく。

中学生現地研修は北方領土返還要求運動和歌山県民会議と県北方領土問題教育者会議が毎年実施。16回目を迎えた今回は、独立行政法人北方領土問題対策協会から補助金を受け、和歌山市立加太中学校、有田市立保田中学校、高野町立高野山中学校の生徒らが参加した。
北方領土は北海道本島の北東洋上に位置する歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の四島から成る。ロシアより先に四島の存在を知った多くの日本人がこの地に渡航。先祖伝来の地として受け継いできた。

問題の経緯をさかのぼってみる。1855年2月7日、日本とロシアは「日魯通好条約」を調印し、択捉島とウルップ島の間の国境を確認。75年には「樺太千島交換条約」を結び、ロシアから千島列島を譲り受け、樺太全島を放棄した。この交換条約では譲渡される同列島に属する島名をそれぞれ挙げているが、名称はいずれもウルップ島以北の18島で、北方四島は含まれていない。

1905年、日露戦争の結果、北緯50度以南の南樺太が日本領となった。51年、サンフランシスコ平和条約で、日本は千島列島と南樺太の権利や請求権などを放棄。日本は放棄した同列島に北方四島は含まれていないとしている。

これらの経緯から北方四島は過去に一度もロシアのみならず外国の領土になったことがない。45年8月9日、ソ連は日ソ中立条約を破棄して対日参戦。18日から千島列島へ侵攻し、28日から遅くとも9月5日までの間に北方四島を占領した。その後、一方的に自国領に編入し、当時全体で1万7291人の日本人を強制退去させた。ロシアの北方四島の占拠は「法的根拠のない占拠」と日本は訴え続けており、今なおこの問題は解決していない。

研修参加者は4日午前7時、関西国際空港に集合し、8時に出発。新千歳空港を経由して中標津(なかしべつ)空港に到着した。午後1時ごろの中標津町の気温は20度。連日暑さの続く和歌山より10度ほど低く過ごしやすい。生徒たちはバスに乗り込み、隣の弟子屈(てしかが)町を目指した。

1時間強の移動で同町の摩周湖に到着。「霧の摩周湖」と呼ばれ、普段は辺りを霧が包み込み、なかなか晴れた姿を目にすることはできない。だが、この日は霧がほぼなく、和歌山からの旅の疲れを癒やすかのように湖が美しく映えていた。
その後はバス移動で約8㌔離れた硫黄山を見学。生徒たちは硫黄が放つ独特の臭いを感じながら、煙噴を間近に楽しんだ。(㊥に続く)

北方領土返還祈念シンボル像「四島のかけ橋」の前で研修参加の中学生ら(根室市納沙布)

北方領土返還祈念シンボル像「四島のかけ橋」の前で研修参加の中学生ら(根室市納沙布)