智弁の髙嶋監督が勇退 後任に中谷コーチ
監督として甲子園通算68勝の最多記録を持つ智弁和歌山の髙嶋仁監督(72)が25日、和歌山県和歌山市冬野の同校で記者会見し、勇退を表明した。今後は名誉監督として同校野球部をサポートする。後任の監督には同校OBで昨年から野球部コーチを務める中谷仁氏(39)が24日付で就任しており、選抜大会の出場を目指して秋季大会に臨む。
髙嶋監督は会見で、ノックができなくなったことや体調面の不安を勇退の理由に挙げた。選手には24日の練習で監督交代を伝えたという。
髙嶋監督は長崎県五島市出身で、海星高(長崎)の選手時代に2年連続で夏の甲子園に出場。日体大を卒業後、智弁学園(奈良)の監督を務め、1980年に智弁和歌山の監督に就任。同校では春12回、夏23回甲子園に出場し、春夏合わせ優勝3回、準優勝4回の実績を残した。
会見で48年にわたり高校野球の指導を続けられた原動力を問われた髙嶋監督は「甲子園で負けてから1週間もすると体が震え、(もう1度甲子園に行くぞと)ノックに力が入った」と話し、チームづくりの方針について「守りから入り、徹底的に守備を鍛えてきた」と強調。同校野球部の代名詞となっている強力打線については「投手に恵まれなかったので、7、8点取られても10点取る野球を目指した」と話した。
今後については「中谷監督に相談されたらアドバイスしたい。野球界の底辺拡大に向け子どもたちに野球の楽しさを教えたい」と意気込みを示し、「高校野球は一発勝負。中谷監督には目の前の試合を何としても勝つという気持ちでやってほしい」とエールを送った。
中谷氏は和歌山市出身。同校野球部では捕手として3度甲子園に出場し、1997年夏には全国制覇を経験した。卒業後はプロ野球の阪神、楽天、巨人で捕手として活躍し、2012年に引退。14年に学生野球資格回復の適性の認定を受け、昨年からコーチとしてバッテリーを中心に指導を行っている。会見で中谷氏は「髙嶋先生がつくってこられた野球を受け継ぎ、生徒たちと絶対甲子園に行きたい」と意気込みを示した。