紀州藩士の屋敷跡 旧伏虎中の発掘成果説明
新和歌山市民会館の建設に伴い和歌山城跡の発掘調査を行ってきた同市七番丁の市立伏虎中学校跡地で22日、現地説明会が行われた。県文化財センターと市文化スポーツ振興財団埋蔵文化財センターによる合同説明会で、約200人が紀州藩武家屋敷の跡を間近で見学した。
調査されている土地は江戸時代に家臣の屋敷や藩の公的施設が並んでいたとされる和歌山城三の丸にあたり、説明会では松平家、田宮家、津田家、渡辺家、海野家の屋敷跡が公開された。
松平・田宮家では江戸時代後期の様子が明らかになっている。陶磁器や金属製品を廃棄していた土坑が複数見つかり、屋敷内のごみを廃棄する場所が決まっていたことが分かる。また、田宮家には土師器(はじき)皿と寛永通宝が埋められた土坑や土師器皿がまとまって出土した場所があり、地鎮に関する遺構と考えられている。
田宮家、津田家、海野家の土地では整地が繰り返されており、織豊期(16世紀末ごろ)の遺構や古墳時代の遺構が見つかった。海野家では大型の半地下式構造のかまど2基が見つかっているが、どのように使われたのかはまだ不明という。また、古代の蓮華文軒丸瓦が見つかっており、当時瓦が使われていた寺や役所が存在していた可能性がある。
来場者は柵で囲まれた広い屋敷跡を見ながら職員の解説を聞き、土坑の跡や屋敷の境界にあたる壁や池にあった水琴堀などを写真に収めていた。
関戸から訪れた女性は(70)「和歌山市の核になる和歌山城の歴史が分かった。古代に住んでいた住民の生活のことは知らなかった」と話していた。
両センターでは本年度末までに調査を終了する予定。