温山荘の修復へ証言 避難経験の元看護学生

太平洋戦争終結の前後、琴ノ浦温山荘園(和歌山県海南市船尾)で避難生活を送った丸山タツ子さん(90)=奈良市=の証言を、施設の修復に生かそうとする取り組みが進んでいる。施設を管理する公益財団法人や文化財保護関係者らが、資料に残されていない情報を集めようと、丸山さんが体験した園内での暮らしの様子に耳を傾けている。

丸山さんは戦時中、和歌山市の和歌山赤十字看護専門学校で学び、1945年7月9日の和歌山大空襲に遭った。丸山さんによると、地面をなめるような業火を必至の思いで逃れ、浜辺で一夜を明かした翌日、上官の指令のままに移動すると温山荘園にたどり着いたという。

その後の2カ月ほどを施設内の邸宅の地下室で、約40人の看護学生と共に過ごした。食事は毎日3度、玄米と大豆を混ぜて炊いたものや、雑穀などを食べた。空腹に耐えかね、施設内の池からアオサを採ってかじったこともあった。

邸宅は現在、主屋と呼ばれており、地下室は75年に行われた補強工事によりコンクリートで覆われている。施設は2010年に重要文化財に指定されているが、工事はそれ以前だったことから、文化的価値の保全よりも、深刻だった浸水被害を防ぐことを目的に行われた。

2日、地下室を訪れた丸山さんは「当時は赤土の土間で、木造の天井は高く、もっと広かったです。柱も窓もありませんでした」などと記憶を語った。

財団法人琴ノ浦温山荘園事務局の上田敦さんは、同財団の調査による45年の資料の中に「座敷を知事官邸、仏間を秘書宅、地下室を看護婦用とする」との記述があり、「丸山さんの証言と一致する」と強調。「主屋を、当時に近い姿に修復することで文化的価値を高めたい」と考えている。

公益財団法人県文化財センター、文化財建造物課の下津健太朗副主査は「証言は大変貴重だ。当時の話から施設の概要が把握できれば、補修計画も立てやすくなり、不用意に現存の建物を傷めてしまうことも防げるのではないか」と話していた。

地下室で当時の記憶を語る丸山さん㊥

地下室で当時の記憶を語る丸山さん㊥