紀州街道に架かる「欄干橋」

岸和田市の歴史や文化を現代に伝える、紀州街道について取り上げている。
今週は前回取り上げた「紀州街道本町一里塚跡(一里塚弁財天)」から大阪市方面へ約500㍍の所にある、欄干橋(らんかんばし)を紹介したい。
欄干橋は、紀州街道と府道39号岸和田港塔原線の交差点のほど近くに位置する。古城川を渡る石橋で、当時はこの地域における「道路元標」とされ、他の地域からの距離を表す目印となった。
橋の名の由来は定かでないが、元禄・享保年間の紀行文には「ぎぼし(橋の欄干に施されるネギの形をした装飾)のある橋」と紹介され、天保年間の地図には「欄干橋」、文化・文政年間の文書には地名に倣い「魚屋町橋」と記録されているという。
地域に残る俗謡(大衆で親しまれた音楽)で「石の欄干橋ドンと踏めば、憎や雪駄(せった)の一緒が切れた」と歌われ、当時としては珍しかったであろう、装飾が施された欄干付きの石橋として、地域の人々の誇りや愛着を感じさせるもの。欄干橋の周囲には商店が建ち並び、明治期にはガス灯が設けられたとされ、紀州街道を中心とした街の発展を想像できる。
大正9年(1920)に定められた岸和田市の市章(当時は岸和田町章として)は朱色で「干」の字に似た形。一般公募で選ばれたもので、「岸」の字を模したもの、あるいは、頭文字の「キ」、欄干橋の「干」を用いたなど諸説あるが、この地域の歴史のうえでこの橋が愛され親しまれてきた証しであることに違いない。
(次田尚弘/岸和田市)