アイデア農業60年 紀美野の白粉田さん夫妻
紀美野町梅本の白粉田宏雄さん(88)は、20代半ばから米やトマト、シイタケなどさまざまな作物を手掛け、農業一筋の人生を送っている。山間での暮らしから得た自然に関する知識や洞察力は深く、農業を志す人の相談にのることもしばしば。妻の成子さん(82)と心豊かな日々を送る白粉田さんに、これまでの取り組みや次世代への期待を聞いた。
夫妻は現在、果実が軽く、収穫時に運搬しやすいサンショウを中心に栽培出荷し、自家用の米や野菜、かんきつ類などを作っている。元々、元禄時代から続く稲作農家だったが、父親から約1丁(約3000坪)の農地を継承してからは、変化する社会情勢や気象条件に合わせ「人のできないことをして所得を向上させよう」と野菜や果樹栽培にも熱心に取り組み始めた。「農業は、アイデアを持ってするべし」というのが持論だ。
特にヒット商品となったのは、1960年代に思いつきで始めたという「生石高原トマト」。秋ごろまで出回るトマトとして珍重され、最盛期の3カ月間は、一日で当時の教員の月給とほぼ同じくらいの売上げがあった。
70年ごろから手掛けたシイタケ栽培は、25年にわたり農業法人を運営するほどの事業に成長。法人を構成した農家の仲間7軒が、独立採算型で運営したことで、各戸が利益向上を図ろうと熱心に栽培にも取り組むようになり、農業にも自由競争が大切であることを実感した。
またその頃、高度成長期で高まった木材需要に対応しようとスギやヒノキの植林事業が推進され、和歌山県主催の農業士会で説明を聞いた白粉田さんは「雑木を切って植林をすると山の生態系を変えてしまう。後々、何らかの問題が生じないだろうか」と問題提起をした。現代になり、スギやヒノキの花粉がアレルギー症状を引き起こす一要因にもなっていることは周知のことであり、当時を知る友人は「その意見を聞いた時は驚いたが、今になってお前の主張がよく分かった」と話しているという。
その後、中国産シイタケの流通で値崩れが起こるようになってからは、果樹栽培に転換。地球の温暖化の進んだ時期でもあり、甘みがのった良い品質の梅やミカンを収穫することができた。
「利益率の良い農業をしたい」と願う白粉田さんはいつも、大阪中央卸売市場の野菜の値動きをチェックしていた。ネギなど、ある作物が高値になる時期を把握しては、それに合わせて出荷するために、どの品種が自身の農地の土壌に適しているかということなどを考えた。
白粉田さんのその農業や自然への旺盛な探究心は、幼少の頃から山を遊び場にしていたことや、子ウシを農耕用にトレーニングする役目を果たすなど、農家の跡取りとして養育されたことで養われたもの。現在も自身が生まれた築100年以上の木造家屋に住んでいるが、建材の組みに「狂いがない」といい「この辺りの地盤は青石や白石で、そう簡単に砕けることはなく、災害にも強い」と話す。
都市部からの移住者や定年退職後に農業に従事する人も増えつつある同町。そのような人に山の知識を話したり、農業の手ほどきを行ったりしながら夫妻は現在、最盛期の三分の一に縮小した田畑の農作業に精を出し、穏やかな日々を送っている。以前は海外旅行も楽しんだが、最近はおにぎりを携えたドライブが最高の息抜き。白粉田さんは「若い人にもぜひ夫婦で力を合わせて農業を楽しんでほしいです」と話し、茂子さんも「農作業は体力が必要でえらい(きつい)こともありますが、月給にもしばられず気楽です。ええ人生でした」と笑顔で夫を見つめている。