歴史書にない伝承話 伊太祁曽神社で講演

神武天皇が初代天皇として即位した建国の日の11日、和歌山県和歌山市の伊太祁曽神社(奥重視宮司)で「紀元祭」が営まれた。神事に続き、本殿横の常盤殿で神武天皇が東征し白浜町太刀ヶ谷に立ち寄った時の現地の伝承について、「神武天皇が投げた剣~日本書紀で知られていない名場面~」をテーマに講演会が開かれた。

講師は紀元祭の神事で代表として玉串拝礼を行った「『睦奥宗光外務大臣』の功績を教育に活かす実行委員会」会長の立谷誠一さん(太刀ヶ谷神社奉賛会会長、元白浜町長)。

『日本書紀』によると、神武天皇(神倭伊波礼毘古命)は東征に向かうため九州・日向を出発。大阪・難波から南へ進軍し現在の和歌山市で兄の彦五瀬命が交戦中に亡くなり、竈山神社の「竈山墓」として葬られた。さらに熊野へと進み、北上して大和橿原宮に入り天皇に即位したと記されている。しかし、和歌山市から熊野までの話について記録が残っていない。

立谷さんは日本書紀に載せられなかった理由があるという。それは神武天皇が船で熊野へ向かっている途中、台風によるしけを避けるために田辺湾の古賀浦に入港。地元の人は白浜に立ち寄った神武天皇を歓迎し、できる限りもてなした。3日間滞在するが、しけが治まらないため、神武天皇は携帯していた剣を海に投げ入るとしけが治まり凪になった。地元の人は、その投げ入れた剣が欲しいと懇願し、礼として剣を受け取った。剣を御神体として祭ったことから太刀ヶ谷神社と命名されたという。

神武天皇は大和の国へ行くまでの居場所が敵に漏れないように、地元の人に対し「この地に立ち寄ったことを話してはいけない」と約束を守るよう指示した。その約束を地元の人たちは先祖代々にわたり守り続けることとなった。

立谷さんも子どもの頃に「親から神武天皇の話をしないよう言われた。いまだにこの話を知らない地元の人もいる」という。

地元の人が神武天皇との約束を守ったことで日本書紀に記されることがなかった神武天皇が投げた剣。これからも地元で伝承していきたいという。

神武天皇にまつわる伝承について話す立谷さん

神武天皇にまつわる伝承について話す立谷さん