和歌山県関係は36人受章 危険業務叙勲

 危険性の高い業務に精励した人をたたえる 「危険業務従事者叙勲」 (11月3日付発令) の受章者が公表された。 県関係は61~77歳の36人で、 警察庁関係24人、 消防庁関係6人、 法務省と防衛省関係が各3人。 11月上旬から中旬にかけて、 各省庁や県などで伝達式が行われる。 (年齢は発令日現在)

 ◇瑞宝双光章=岩本德三(61)元田辺市消防監、田辺市▽沖平滿(72)元県警視、和歌山市北出島▽小原照雄(77)元警視長、和歌山市三葛▽川上幸弘(77)元警視長、大分県▽草野智行(72)元警視正、和歌山市新庄▽小松一孝(72)元県警部、和歌山市新在家▽坂口和三(72)元県警部、和歌山市紀三井寺▽﨑山義元(72)元県警部、和歌山市坂田▽瀨上義光(72)元警視正、和歌山市弘西▽薮中瀨忠男(68)元和歌山市消防監、和歌山市関戸▽森田紀男(72)元県警部、かつらぎ町▽藪中進(72)元警視正、和歌山市内原▽結城健五(72)元警視正、和歌山市府中▽和田章一(73)元県警部、紀の川市貴志川町長山
 ◇瑞宝単光章=畔川臣展(63)元法務事務官、和歌山市磯の浦▽榎本正人(73)元県警部、和歌山市西浜▽岡本利明(72)元県警部、三重県▽川勝退藏(61)元3等海尉、有田川町▽北野尚志(72)元県警部、紀の川市貴志川町岸宮▽桑原誠(65)元有田市消防司令、有田市▽酒井得四郎(71)元大阪府警部、田辺市▽島田盛治(73)元県警部補、和歌山市神前▽関本均(61)元3等陸尉、新宮市▽田端英世(72)元県警部、田辺市▽玉置陽信(72)元県警部、紀の川市桃山町市場▽田村のぼる(63)元法務事務官、和歌山市六十谷▽津田弘文(70)元和歌山市消防司令長、和歌山市朝日▽土井孝之(72)元県警部、紀の川市東大井▽中田美千代(63)元法務事務官、和歌山市松江中▽中西利一(64)元橋本市消防司令、橋本市▽中峰良護(65)元准空尉、串本町▽中村敎章(68)元大阪市消防司令長、橋本市▽西山亨輔(72)元県警部、和歌山市雑賀崎▽野際弘(72)元県警部、有田川町▽▽南辰三(72)元県警部、白浜町▽矢野宣夫(73)元県警部、紀の川市貴志川町丸栖(以上敬称略)

 


先輩、仲間、家族に感謝
 昭和36年21歳の時の拝命以来、主に警備公安畑を歩み、まちの治安維持のため尽力してきた。

 思い出深い事件は51歳の時、白浜署の次長当時に発生した中国からの密航船事件。ある日の夕方、「密航船が来て海に人が飛び込んでいる」と110番通報があった。現場に駆け付けると、小さな船で105人がまちに上陸していた。昼夜を問わず陣頭指揮を執り部下をまとめ、わずか1週間で被害もなく全員の身柄を確保した。

 「強奪など住民に被害が及ぶことだけは避けなければならなかった」と緊迫した当時を振り返る。 拘束後も1カ所で全員を収容できないため他署への身柄分散、応援隊の寝床や食事の確保、病気になった拘束者の医者の段取り、報道対応など次長として目まぐるしい日々だった。 70年安保闘争の際も一週間帰れない時が何回もあるほど身を削り貢献した。

 「岡山から寝袋一つで出てきた自分を一人前にしてくれたのが警察」とし、 「掛け替えのない先輩や仲間との出会い、家族の協力なしには今の自分はなかった」 と感謝の言葉を述べ優しく笑った。


 

 
市民の安全へ全力投球
 大学卒業後、会社勤めを経て昭和43年24歳で消防の道に入った。 以来36年間、主に火災予防を呼び掛けたり、危険物を取り扱う事業所などに対しての書類審査や現場での検査を行った。 やり出したら手を抜けない性格。 いつも全力投球で仕事に打ち込んだ。

 中瀨さんは「高校の時、父親の営んでいた町工場で火事が起こらなかったら、消防の仕事に就いていなかったかも。そこが原点」と話し、消防署員らが懸命に消火していたことを振り返る。

 初めて配属されたのが、当時、消火に駆け付けた市消防局南消防署だった。 しかし、訓練中にけがをしたことで、復帰後は市消防局で経理や危険物班に携わった。 現場で働きたい気持ちはあったが、 消防全体の動きを学ぶことができた。 予防課の危険物班では、建築、土木などあらゆる分野での知識が求められた。 何度も現場に足を運び、一つひとつ点検確認した。

 「安全は実態が見えないが、危険はどこにでも潜んでいる。 それだけ注意が必要」 と穏やかな表情の中に強い使命感を見せた。