浜松から県庁前を結ぶ 国道42号の歴史と今
前号まで3週にわたり、かつての紀州の東端にあたる松阪について取り上げた。参勤交代に使われ、本居宣長が歩いたとされる和歌山街道についても紹介したが、いまの和歌山県民にとってなじみのある道は国道42号ではないだろうか。今週は国道42号にふれたい。
国道42号は静岡県浜松市西区の篠原交差点を起点に紀伊半島を外周し和歌山市の県庁前交差点を終点とする一般国道。陸上距離は469・7㌔で、愛知県田原市の伊良湖港から三重県鳥羽市の鳥羽港までのフェリー航路19・6㌔を海上区間として持つ。陸上距離は全国8位だ。
制定されたのは昭和20年1月。当初は国道41号と呼ばれ、「東京都より和歌山県庁所在地に達する路線(うち、松阪まで国道1号)」として指定された。昭和28年5月に二級国道170号和歌山松阪線(和歌山市―松阪市)に。その後、昭和34年4月に松阪市―津市の区間を編入し一級国道に昇格。一級国道42号線(和歌山市―津市)となり、昭和40年の道路法改正に伴い、一般国道42号となった。
平成に入り渥美半島を起点に紀伊半島を横断し四国へ至る道路構想により、松阪市―津市の区間を除外し、新たに浜松市―松阪市の区間を編入、現在に至る。
串本町内の国道42号を走行中、道と海を隔てる部分に付けられたキロポストに「浜松から302㌔」の表示を見た。道はどこまでも続くものだが、太平洋に面した国道42号という500㌔近い道が途切れることなく、和歌山、三重、愛知、静岡の人々の生活を支え続けていることを考えると、どこか愛着が湧き、この道に沿って旅をしてみたくなるのは筆者だけだろうか。 (次田尚弘/和歌山)