3000人超の民間大使と北京へ 両国の知恵と努力で問題克服を
「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」【心の友と呼べるような親友が遠くから訪ねてきてくれるのは、たいへん嬉しく楽しいものです】 5月23日夕刻、中国・人民大会堂に集結した、日本からの3000名を超える民間訪問団を前に、習近平国家主席の「重要講話」は日本でもなじみのある「論語」の一節にある歓迎メッセージから始まりました。
私はこれまで2000年の運輸大臣時代の5200名訪中団を皮切りに、4度の大規模訪中ミッションを企画・実行してまいりました。(2002年「国交正常化30周年」…1万3000名、2007年「国交正常化35周年」…2万5000名、2012年「国交正常化40周年」…520名)
日中関係はこれまで幾多の困難な時代を経てきましたが、いかなる時も両国の関係を支えてきたのは、その時々の政治情勢に左右されない草の根の「民間交流」であったと思います。私は、現状の日中関係に思いをはせながら、決して良好といえる状況ではないが、困難な時だからこそ、政治のリーダーは双方の意見を一方的に述べ合うだけでなく直接対話し、また国民同士は直接交流を深めることが何よりも重要であると考え、同志の皆さまに訪中計画をご相談いたしました。その結果、国会開会中で海外出張が困難な中、自民・公明・民主各党から国会議員23名、経済界から御手洗冨士夫・経団連名誉会長をはじめとする全国の経済人、地方自治体から北海道・高橋はるみ知事、埼玉県・上田清司知事、福井県・西川一誠知事、奈良県・荒井正吾知事をはじめとする多くの地方自治体関係者の賛同をいただきました。そして団長は文化・芸術界を代表し画家の絹谷幸二先生にお願いし、「日中観光文化交流団」が結成されました。
現地では、JETRO主催「対日投資セミナー」、観光業界による「旅行商談会」・「トラベルフェア」、日本大使館主催「Yokoso Nippon!」、地方自治体をPRする「日中地方創生シンポジウム」、デザイナーのコシノジュンコ氏による「ファッション文化交流会」等、各業界から多種多様なイベントが企画され、日中双方の民間レベルでの交流が実施され多くの方々にご参加いただきました。また、今回の訪中団に対し中国サイドの特段の配慮により、故宮を日本からの参加者のみに貸切公開いただくというサプライズもあり、短い時間でありましたが、それぞれの参加者が「民間大使」として重要な役割を果たしていただきました。
私はその他、習近平国家主席の母校である清華大学で記念講演をし、多くの学生と直接意見交換をすることができました。また、今秋に北京で開催される「NHK交響楽団北京公演」の日中合同調印式が実施され、互いに文化交流の重要性を確認しその成功を約束してまいりました。その他、北京以外に広州・大連にも訪問し(内容は次回掲載)多くの中国の要人や古くからの友人とお会いすることができました。
私は民間交流の中でも、今後の日中関係においては、とりわけ「青少年交流」が非常に重要であると考えます。あの東日本大震災の後、当時の中国・温家宝首相は災害で身も心も打ちひしがれた状況の東北の子供たちに少しでも元気が戻るようにと、当時500人の子どもたちを海南島に招待していただきました。私自身もその際、引率者として子どもたちと仙台空港から同行しました。東北の子どもたちが瞬く間に元気を取り戻していくことを目の当たりにしました。先日、その参加者の子どもから高校に進学したというお手紙を頂戴しました。まさに将来の日中関係に大いなる希望を感じました。私は人民大会堂におけるスピーチの中で、中国政府にこの時の感謝を述べるとともに、今度は日本が中国から500名の青少年を招待することを3000名の皆さまの前で提案いたしました。日本ではすでにこの計画が実現に向け進められており、秋にも第1陣が日本を訪問する予定です。また帰国後、安倍総理にこのことをご報告し、中国の子どもたちが日本を訪問された際に、総理官邸の見学や安倍総理との面会をお願いしたところ、快くお引き受けいただきました。「青年立てば、国家立つ」。両国の未来を担う青少年の交流に大いに期待したいと思います。
さかのぼれば、日中国交正常化の以前より日中友好に尽力された、石橋湛山先生、松村謙三先生、藤山愛一郎先生、竹山祐太郎先生やLT貿易の実現に努力された高碕達之助先生、岡崎嘉平太先生等、多くの先人のご努力を思うとき、いま私たちの世代に生じている両国の問題も、双方の知恵と努力によって、必ず乗り越えなければならないし、乗り越えることができると考えます。世々代々、子々孫々に日中友好が続くことを祈りながら、同志の皆さまとともに全力を尽くしたいと思います。(次回に続く)