熊本への支援広がる 官民が被災地へ続々

 14日午後9時26分の前震発生から4日以上が経過した熊本地震は、県内でも支援の輪が広がっている。19日には近畿地方整備局の船が支援物資を積んで被災地の大分県に出発。インターネットのSNSで呼び掛け合った市民らも、同日から仕事を休んで熊本県に向かった。18日には現地で3日間活動してきた県警の支援部隊が無事帰還した。
 
 
救援物資を海路で
近畿地方整備局が出発

 国土交通省近畿地方整備局は19日朝、和歌山下津港の港湾業務艇「はやたま」(全長20・3㍍、総トン数19㌧)に飲料水などの救援物資を載せ、被災した大分県に派遣した。

 物資は、2㍑ペットボトルの飲料水約1000本▽ブルーシート54枚▽断熱アルミシート132枚▽給水袋(5㍑)20個▽ポリタンク(20㍑)18個▽アルコールタオル15個▽防災マット8枚――。

 同県からの要請を受け、現地で不足している物資を同局和歌山港湾事務所(中藤智徳所長)の職員らが買い集めた。

 この日は出発式が青岸エネルギーセンター(和歌山市湊)近くの同港の船着き場で行われ、職員十数人で船に物資を積み込んだ後、中藤所長が「被災地に向け、物資を確実に、安全に十分注意して運んでください」とあいさつ。乗組員ら5人が乗り込み、朝日を浴びて出発する船を手を振って見送った。

 船は20日朝に大分県別府港に到着し、現地で他に支援の要請がなければ21日夕方に帰還予定。

 同局の他、18日には中国、四国の地方整備局からも各2隻の船が別府港に物資を輸送している。
 
 
3日間の任務終え
県警の緊急援助隊帰還

 熊本県に派遣されていた県警の広域緊急援助隊は、15日から3日間にわたる任務を終え、18日夜に帰還した。

 援助隊は20代を中心とした警備部隊26人、機動通信課員1人と車両7台。発災約4時間後の15日午前1時20分に熊本に向けて出発し、到着後は熊本県警の指示で益城町のパトロールを開始した。16日午前1時25分に発生した震度6強の地震を受けて任務を変更し、益城町と南阿蘇村で負傷者の救出活動や行方不明者の捜索活動に従事した。

 援助隊は18日午後9時半ごろ、和歌山市木ノ本の県警察学校に帰還し、報告を受けた大野矢雄警備課長は「再出動の可能性もある。いまはゆっくり休んで」と隊員をねぎらった。

 県警管区機動隊の芝﨑展也中隊長(41)は「自然の怖さ、家が倒壊した光景に圧倒された。まだ気の抜けない状況が続いている」と現地の状況を話し、「16日の本震は経験したことのない揺れだったが、けがもなく帰還できてよかった」と安堵。県内での大規模地震に向けては「日頃の備えをきっちりとし、自分の身を自分で守ること、県外から和歌山に入る救助部隊のルートの確保などが重要になってくる」と語った。
 
 
SNSで輪広がる
辰村さん真心の物資輸送

 和歌山市吉田の居酒屋「よっちゃんち」の店長、辰村吉則さん(30)は、19日から4日ほどの予定で熊本県に向かい、被災地へ支援物資を届ける。

 用意された物資は水、食料品、簡易トイレや手袋などの衛生用品で、現地に向かうワゴン車とトラックの荷台は満載となっている。辰村さんは支援企画の賛同者らと4人で19日にフェリーで和歌山を出発し、四国を経由して被災地へと向かう。

 辰村さんの友人である瀬川映太さんが、熊本県御船町でボランティアと物資支援の受け入れ態勢を整えたことをフェイスブック上で報告したことをきっかけに、物資を送り届ける企画が持ち上がった。2人が輸送に立候補し、賛同者も集まり、物資や義援金を寄せた人は100人を超えた。

 辰村さんは「自分が支援したいと思い、行くことを応援してもらうだけのはずだったのが、たくさんの物資が集まった。みんなの気持ちを現地に届けて、そして和歌山に被災地の現状を伝えたい」と被災地へ向かう思いを語った。

 今後も、物資輸送の回復状況などを見て、再び支援物資を受け付けることも予定している。

「はやたま」に支援物資の段ボール箱を積み込む職員(19日朝、和歌山下津港)

「はやたま」に支援物資の段ボール箱を積み込む職員(19日朝、和歌山下津港)