戦争の痛み忘れない 上原さん伏虎に詩を寄贈

 和歌山市立伏虎義務教育学校(同市鷺森、林素秀校長)に20日、校区の城北地区に住む上原ハツさん(85)から、1945年(昭和20)7月9日の和歌山大空襲と戦争の痛み、悲しみをうたった自作の詩『私は忘れない』の額が寄贈された。

 7年生(中学1年生)の人権学習の一環。同校は前身の伏虎中学校時代から毎年、西汀丁で行われる戦没者の慰霊祭に折り鶴を納めている。上原さんは1996年の慰霊祭で戦没者に向けて詩「私は忘れない」を作り、朗読した。引っ越しを機に、若者に戦争の記憶を伝えようと、自宅に飾っていた詩の額を同校に贈ることを決めた。

 この日、7年生は上原さんと城北地区の山口節子さん(81)、坂田俊博さん(79)から和歌山大空襲の体験談を聴いた。「胸騒ぎがする」と母のひと言で市街地を離れ、紀の川の堤防から火の海になった街を見た上原さん。火を逃れて市堀川に入り、酒造メーカー世界一統の建物が燃えるのを見ていた山口さん。家族一緒に内川に逃げて助かったが、その後食べ物にありつけず苦労した坂田さん。三者三様の戦争体験を生徒はノートにメモを取りながら聴いていた。

 最後に上原さんが「一九四五年七月九日を私は忘れない 焦土と化した和歌山のあの夜を」で始まる『私は忘れない』を朗読。「22年前に書いた詩だが、戦争をしてはいけないという気持ちは同じ。この詩を通して戦争を忘れず伝えてほしい」と生徒に呼び掛けた。

 体験を聴いた大浦匠人君(13)は「目の前で焼夷弾が落ちて人が死ぬなんて、自分だったら耐えられない。戦争は起こしてはいけないと思った」、本多志帆さん(12)は「少しのことが生死を分け、生きているのが奇跡の人もいるのだと思った。何も悪くない人が戦争に巻き込まれるのは悲しい」と話していた。

『私は忘れない』の額を手にする上原さん㊧と林校長

『私は忘れない』の額を手にする上原さん㊧と林校長