岸和田市の歴史文化ゾーン

前号では、城下のにぎわいを現世に残す、岸和田市の「だんじり」の見どころと醍醐味を取り上げた。
22の町会が所有する地車が勇壮に狭い街並みを走る光景は、テレビでご覧になった方も多いだろう。市が歴史的な建築物が建ち並ぶ「歴史文化ゾーン」と位置付けた本町地区は、岸和田城の西側に位置する4・9ヘクタールの地域。紀州街道を中心に、かつての城下町の趣を残すこの地域は、大阪と和歌山をつないだ歴史や文化を考察するうえで貴重な存在。今週は、岸和田市内を通る紀州街道とまちづくりの取り組みを紹介したい。
紀州街道は、大阪市中央区の「高麗橋(こうらいばし)」を起点とし、和歌山市の「京橋」へと続く、大阪城下と和歌山城下をつなぐ主要路として整備。豊臣秀吉により大阪と堺を結ぶ「住吉街道」として整備が始まり、住吉大社への参詣道とされていた。
高麗橋は現在の大阪メトロ堺筋線「北浜駅」の近く。大阪から堺へと続く街道であることから現在も「堺筋」の名が残る。堺筋線の終着駅となる「天下茶屋」は、天下取りの秀吉が訪れた茶屋が存在したことからその名が残る。
紀州街道が整備される以前は、本コーナーで紹介したことがある「高見峠(たかみとうげ)」を通り伊勢へと向かうのが、紀州藩の参勤交代のルートとされていたが、元禄14年(1701)からは紀州街道を通るルートへと変更されたことから、この頃から紀州街道を軸とした、大阪と和歌山の基幹となる道路が整備されたといえる。
岸和田市の本町地区は当時の面影を残し、木造家屋と石畳を思わせる舗装路が特徴的。街道側の建築物は中二階建てで、城側は城が見えないよう一階建てとなっており、当時のまちづくりの工夫を感じさせられる。(次田尚弘/岸和田市)