紀州藩政の中枢 評定所跡の発掘現場を公開
和歌山県和歌山市は14日、和歌山城三の丸跡地に位置する市役所北側(九番丁)の発掘調査現場を公開し、江戸時代に紀州藩の財政を取り仕切っていた役所「評定所」の敷地から発見された石組みや陶磁器などを見ようと、考古学ファンら100人以上が訪れた。
調査地は和歌山城の北側に位置し、藩の中枢的な役割を担っていた地点に当たる。対象面積約1500平方㍍を3区画に分け、今回は調査が終了した1区の成果と途中の2区の状況を公開。市文化スポーツ振興財団埋蔵文化財センターの井馬好英センター長らが解説した。
江戸時代の城下を描いた絵図によると、調査地は明暦元年(1655)に設けられた寄合場または会所に当たり、藩政に関わる諸事を話し合う場所だった。
その後、藩の財政全般を取り仕切る評定所となり、御奉行(1793年以降は勘定奉行)などが政務を行っていた。
敷地の中央部からは東西3・1㍍、南北5・5㍍、深さ1・5㍍の大型の石組み遺構が見つかっている。評定所が置かれた頃にはすでに存在し、その後、規模を縮小させて造り替えられた状況も確認された。井戸や、水が落ちる音を楽しむ水琴窟のような遺構も発見された。
現地会場のテントには、陶磁器類などの出土品が並べられた。ふたの内面や外側の底面に墨書があるものが多く、「山﨑」「森氏」など役所内で働いていたとみられる役人の名前も記されている。
注目された発見の一つは、堺焼のすり鉢の外底面に記された「寅七月十日 二分口」の墨書。「二分口」は米以外の税を取り扱っていた部署のことで、紀州藩の歴史書『南紀徳川史』の記述に照らし、評定所であることを裏付ける根拠の一つとなった。
この他、評定所が置かれる前の安土桃山時代にさかのぼる瓦、鷺森本願寺堀跡から出土したものと同じタイプの瓦、江戸時代後期に第10代藩主・徳川治宝(はるとみ)が奨励した「御庭焼」の陶製品なども出土した。
発掘調査の現場を初めて訪れたという同市上野の会社員、北谷真友美さん(27)は「地道な調査から当時の人の暮らしや歴史が分かるのがすごい。もっと多くの人に見てもらえればいいと思う」と話していた。