塙保己一賞に生駒芳久さん 全盲の精神科医
障害がありながらも、社会で顕著な活躍をしている人をたたえる埼玉県の「塙保己一賞」の第13回の大賞に、和歌浦病院(和歌山県和歌山市和歌浦東)副院長の生駒芳久さん(70)が選ばれた。全盲の精神科医として、さまざまな心の病に向き合う生駒さんは「ありがたいことに、見えなくても仕事に恵まれた。自分の年齢や能力を見定めながら、できることを続けたい」と話している。14日、埼玉県本庄市で表彰式が行われる。
小学生の頃から夜になると見えづらく、落とした物を探せないことがよくあった。進行性の目の病気「網膜色素変性症」と診断されたのは、桐蔭高校から徳島大学工学部に入学後、間もなくのことだった。
徐々に視野が狭くなり、いつかは見えなくなるという恐怖がついてまわった。不安や絶望の中で心がふさぎ、死を考えたこともあった。企業や市役所で電気関係の仕事をしたが不安は拭えなかった。
「病名が分かってからは、いばらの道だった。10年かけて決心がついた」
扉を開くきっかけとなったのは、盲学校への入学だった。28歳のとき、生きていくために最低限の能力を身に付けようと通ったが、そこで出会った人に「目が見えないから○○できない」といった考えはなく、ハンデがあってもできることはたくさんあるのだと教わった。全盲の発明家の教師ら個性豊かな恩師との出会い、同級生や先輩の存在が大きな力になった。
盲学校で学んだ解剖学や衛生学に興味を持ち、30歳で和歌山県立医大へ。精神科医になって30年以上がたった。60歳で完全に視力を失ってからは「これ以上変化することはない」と思えるようになったという。
視覚情報がないぶん、診察で大切にするのは「触る」こと。血圧を測れば、相手の緊張具合が伝わり、発汗などで心身の状態を知ることができる。聴診器を当て呼吸音や心音を聞くなど、耳からの情報にも集中。「できる範囲で、限られた情報を組み立てていくと『病気の像』が浮かび上がってくる」と話す。
相手と同じような目線や立場で悩みに共感し、丁寧に話を聞くよう心掛ける。心を開いてもらえるよう、親しみやすさを大切にする。「自分の弱点も自然に見せるようにしている。生身の人間として接し、たまに間違ったことを言うしね」とほほ笑む。
そして、相手への尊敬の念を忘れないこと。その人自身と、生きてきた人生を認め、受け入れるのだという。生きづらさを抱える人が多い現代で「社会が複雑化しているというけれど、100年前も、1000年前も人間は変わっていない。いつの時代も思い悩み、苦労しながら生きてきた。今は無理をして繕おうとし過ぎ。もっと喜怒哀楽を出していい」と考える。
法律が整備され、障害者の働く場も少しずつ広がっているが「中でも精神障害は見えにくく、理解されづらい。差別や偏見もあり、当事者の自分自身への偏見もある。もっと社会の理解が進めば、個人の障害も受け入れやすくなるはず」と願う。
自身の体験から、患者のつらい思いはよく分かり「引きこもりも必要。その人が心安らぐ暮らし方を大切にすればいい」「気持ちが動く時はきっと来るから、今は焦らんでいいよ」。説得力のある言葉で、きょうも優しく背中を押す。