猪三郎の碑を清掃 顕彰会が110周忌に

1910年に国産飛行船の初飛行に成功し、日本航空界の先覚者として知られる和歌山市生まれの山田猪三郎(1863~1913)の命日の8日、「山田猪三郎顕彰会」のメンバー7人が新和歌浦の高津子山遊歩道脇に建つ顕彰碑を清掃。110年前のこの日、51歳の若さで亡くなった県出身の偉人への敬意と、「後世に伝え続けたい」との思いを新たにした。

山田猪三郎は、新堀七軒丁(現・堀止西)に紀州藩士の子として生まれた。86年に潮岬沖でイギリスの貨物船ノルマントン号が遭難し、大勢が犠牲になったことから海難救命具の必要性を痛感。ゴム製浮輪の研究を始めた。

大阪でゴム加工を学び、92年に上京。94年に気球製作所を創業した。1900年には日本初の円筒型係留気球を発明し、日露戦争時にも用いられた。10年にはエンジン搭載の山田式飛行船第1号を完成させ、国産飛行船として初めて東京上空を往復飛行。その後も2号3号と改良を重ね人々を驚かせたが、病のため51歳で亡くなった。

顕彰碑は29年、有志により和歌浦の海を見晴らす同所に建立されたが、説明板はなく、地元の人も碑について、誰のもので、どのようないきさつで建てられたものなのかほとんど知らない状態だったという。

顕彰会の世話人を務める小林護さん(88)は2002年、紀の国の先人を紹介する県の事業をきっかけに猪三郎の存在を知り、苦労して飛行船を造り、日本で最初に空を飛んだ人が和歌山市出身だったことに感銘を受けた。同時に、地元の人が知らないのは恥ずかしいとして、碑周辺の草を刈り、自費で立て札を作った。

「後世に伝え続けたい」との思いで11年に同会を設立。有志メンバーと共に募金を募り、碑の耐震工事や伝記の絵本を制作、出版した他、猪三郎の命日前後の週末には毎年、同所を訪れて碑の周辺を清掃してきた。

新型コロナウイルス感染症の影響で昨年、一昨年は実施を見送り、3年ぶりの清掃となったこの日はちょうど没後110年の祥月命日にあたり、メンバーらは「猪三郎さんが引き寄せてくれたんかな」と喜び、丁寧に碑の周辺を清掃した。

天候にも恵まれ、ウグイスがきれいな鳴き声を響かせる中、小林さんは「長いこと来られなくて心配していたけど、案外きれい。美しく保ってくれている人がいる証し。本当にありがたい」と感謝。「(猪三郎に)『来年からはちゃんと来ます』と伝えた」とほほ笑んだ。

猪三郎のひ孫で、気球製作所(東京都)の豊間清社長とは現在も連絡を取り合っているとし、「また和歌山に来てもらって会食を楽しみたい」と笑顔。「こんな偉い人がおったんやでっていうのをみんなに知ってほしいし、後世に伝え続けたい」と話していた。

小林さん(前列左から2人目)ら顕彰会の皆さん

小林さん(前列左から2人目)ら顕彰会の皆さん