地域が誇る「南高梅」の歴史
梅雨の時期、スーパーの果物コーナーや産直市場をにぎわすのが「梅」である。今週は県民にとって身近な存在である梅の歴史を紹介したい。
梅はバラ科サクラ属の落葉高木。原産地は中国で、日本に渡来したのは弥生時代とされ、奈良時代から庭木として親しまれ、江戸時代から果実の栽培が始まったという。県内でも江戸時代から、現在のみなべ町や田辺市周辺で栽培が始まった。
当時、この地を治めていた田辺藩の初代藩主である安藤直次が、やせ地や傾斜地でも収穫でき、価値の高い実が収穫できる梅に目を付け、栽培を推奨。明治に入り当時の流行病であったコレラや赤痢への対策、日清戦争や日露戦争での軍隊の常備食として需要が増し、梅の栽培が拡大した。
明治12年、現在のみなべ町の山林で、内本徳松氏が優良な梅の木を見つけ「内本梅」として苗木を増やし、大規模な栽培を開始。明治35年に高田貞楠氏が、果実が大きく豊作の木を見つけ「高田梅」と命名。昭和25年、優良な品種に栽培を統一しようと選定会が発足し、調査の結果、高田梅が最も優良な品種に認定された。この調査に尽力したのが県立南部高校の教諭や生徒。高田梅の「高」と南部高校の「南高」を取り「南高梅」と名付けられ、種苗名称登録された。
南高梅は栽培の容易さと豊作性に優れ、梅の需要拡大と共に栽培が広がり、今や国内1位の栽培面積を誇る品種に発展した。農水省の統計によると全国における2020年産の梅の収穫量は約7万㌧。その内、県内では約4万㌧が収穫され、全国の約6割を占めている。
民の暮らしを支えるために着目し、長い月日に磨きをかけることで、全国に誇る地域のブランドとなった南高梅。私たちにとって身近な南高梅の魅力に触れていきたい。
(次田尚弘/和歌山市)