新たな観光地に 井澤弥惣兵衛の墓所に案内板

和歌山県海南市出身の偉人、井澤弥惣兵衛の功績を広く知ってもらおうと、井澤弥惣兵衛為永翁紀州墓所案内板設置委員会はこのほど寄付を募り、同市溝ノ口にある菩提寺「宗光寺」の井澤弥惣兵衛の墓所に案内板を設置し、7日に除幕式を行った。同委員会の山添高道事務局長は「門前の紀州菩提寺の石碑と墓を併せ、名実ともに弥惣兵衛が眠る墓所となった。ここに井澤弥惣兵衛の墓があることを多くの人に知ってもらい、新たな観光地になれば」と話した。

井澤弥惣兵衛は江戸時代に溝ノ口村(現在の同市野上新)で生まれた。農民から紀州藩士となり、小田井用水や亀の川の改修、亀池の築造に携わった。

この功績が徳川吉宗に認められ、幕府の役人として埼玉県の見沼代用水路の開削などを担当。紀州流土木工法の始祖として、高い評価を受けた。

井澤家の現当主である井澤佳代さん(83)が、菩提寺に墓がないこと、井澤家に後継ぎがいないことから、昨年5月4日に同市野上新にあった弥惣兵衛親子3代の墓と、先祖代々の墓、計4基を同寺に移転。

それに伴い弥惣兵衛の足跡や功績を示す新たな観光地となるよう、案内板を設置することになった。

弥惣兵衛の功績を掘り起こし、後世に伝える活動をする「井澤弥惣兵衛さんを知ろう会」(井澤佳代会長)の有志メンバーらを中心に同委員会を立ち上げ、寄付を募った。150人以上の個人や企業、団体から約150万円が寄付された。

弥惣兵衛の墓は、東京都と埼玉県にもあり、今回移転された墓は、紀州墓所として同寺境内に入ってすぐ左に並ぶ。

墓は、弥惣兵衛と親、子(三男)、先祖代々の4基で、案内板は、縦90㌢、横120㌢のステンレス製。埼玉県の見沼自然公園に建つ弥惣兵衛の銅像をモチーフにした図柄と墓の並び順の説明を記した。

除幕式には、佳代さんや神出政巳市長ら約70人が出席。同寺の田原俊幸住職による読経や参列者の焼香、住民コーラス「ひまわり」の合唱などが行われた。

佳代さんは「一人じゃできないこと。たくさんの人に協力していただき感謝している。これを機に弥惣兵衛の偉大な功績を知ってもらいたい」と話した。

幕を引く神出市長㊨と井澤佳代さん

幕を引く神出市長㊨と井澤佳代さん

紀州墓所に設置された案内板

紀州墓所に設置された案内板