樹齢400年のカヤに接ぎ木 痕跡を発見、県内最古か

接ぎ木の痕跡が見つかったカヤの樹(傾斜して育つ主幹と直立して育つヒコバエ)(近畿大学提供)
接ぎ木の痕跡が見つかったカヤの樹(傾斜して育つ主幹と直立して育つヒコバエ)(近畿大学提供)

近畿大学生物理工学部(和歌山県紀の川市)生物工学科の堀端章准教授らは、紀美野町のカヤの樹を研究する中で、樹齢約400年のヒダリマキガヤの樹に接ぎ木の痕跡があったことを発見し、同地域で、少なくとも江戸時代前期には接ぎ木でヒダリマキガヤを増殖していたことを明らかにした。堀端准教授は「県内で今なお生きている樹で接ぎ木が確認されたのは最古だと考えられる」と話し、さらにカヤの遺伝子を調べることで、地域による当時の人々の生活の違いや交流が明らかになることが期待できるという。

カヤは同町の「町の木」。県内でも植栽密度が最も多く、樹齢の古い木もたくさんある。種子は良質な食用油の原料に利用される。

カヤの油は凝固点が低く、冬の灯明用には欠かせないもので、高野山の山麓に位置する同町は、江戸時代から高野山へ年貢として納めていた。

ヒダリマキガヤはカヤの変種。幹がねじれて育つのが特徴で、果実の収穫量がカヤより多く、油の生産性に優れている。

研究は、堀端准教授と同大学民俗学研究所(大阪府東大阪市)の藤井弘章教授、学校法人りら創造芸術学園(同町真国宮)の鞍雄介教頭、同大学2年生の足立優貴さんらで進めた。

鞍さんは、りら高校の生徒と数年間調査していた同町のカヤについて、さらに深く学びたいと、カヤの基礎実験をするため、本年度は同大学へ研修に通っている。ゼミでの意見交換で鞍さんが「同町中田の民家の庭に、傾斜する木から真っすぐに伸びるカヤがある」と、りら高生と調査したヒダリマキガヤのことを話したことで今回の発見に至った。

それぞれの枝の葉を見た堀端准教授が「遺伝子的に違う」と気づき、葉からDNAを抽出し調べたところ、明らかに違う遺伝子であることが判明。同木なのに遺伝的に違うということは、別の木が接ぎ木されていると考えられる。

雄雌(オスメス)のあるカヤは雌しか実をつけない。種をまくと雄雌は半分の確率で、雄は15年かけて花を咲かすため、雄雌が分かるのには15年かかる。

雌を接げば全て雌の樹になり、雌は3年で実をつける。接ぎ木の技術があれば、効率的に短期間で収穫できることになる。

堀端准教授は「DNAだけでなく、地元の人の聞き取りからつながり、発見できた」と言い、鞍さんは「1本ずつカヤに役割や違いがあることを地元の人から、よく話を聞いていた。同町でカヤの樹が大切に守られていることが分かり、地元の人にとっても誇りになる」と話した。

空海伝承と関係? 民俗学的研究にも期待

DNAについては、同町の西東の両端に位置する毛原と、中田の2地域の平均樹齢約500年のヒダリマキガヤを含むカヤを調べた。

DNAから、中田は棚田で作物を作る里の文化、毛原は植物採集や狩猟な山の文化だったことが分かったと堀端准教授は話した。

さらに、科学的に論証はできていないと前置きした上で、「『榧蒔石』(かやまきいし)伝承で、空海が栽培を推奨したカヤの樹は、ヒダリマキガヤであった可能性がある」と話す。

堀端准教授らの研究成果によると、同町内では古くから、仏像づくりのための木材に直っすぐに育つカヤを栽培してきたが、ある時期から油の収穫量が多いヒダリマキガヤの栽培が推奨されるようになったと推測。しかも、ヒダリマキガヤは種で増えたと考えられ、同じ時期に中田と毛原の地域にヒダリマキガヤの種がもたらされた可能性があることも分かった。その時期が1200年前で、空海が広めたのではないかと考察している。

堀端准教授は「同町が生業にしていた油産業が、実は空海の影響だったとDNAによってつながった。同町の地域のフィールドがある中で、生物学と民俗学的観点から分かった」と話す。

今後は、地域を拡大してカヤの調査を継続する。当時の人々の生活や集団の形成などの過程が分かり、民俗学的な発見につながることも期待されるという。