戦没者の魂の叫び聞いて 岩出市で「戦争展」

生々しい戦争の記憶が残る480点を展示
生々しい戦争の記憶が残る480点を展示

「二度と私たちのような戦没者遺族を出さない」――。岩出市遺族連合会(岡元清彦会長)は、戦争の悲惨さを身をもって体験した記憶を伝承しようと、家庭で保管する貴重な品や写真などを集めた「資料で見る戦争展」を同市根来の市民俗資料館で開いている。18日まで。

戦後80年となり、体験した世代が少なくなる中「今何もしなければ、遠くない未来に戦争の記憶は消え去ってしまう」と同会が企画。会員、市民から遺品などを借り集めて展示している。

初日となる3日にはオープニングセレモニーが行われ、会員や関係者約80人が参加。展示への思いを語った。

岡元会長(85)の父親は1919年、韓国・済州島付近の沖合いで潜水艦の攻撃を受け、船が沈没したとされ、遺骨は戻らず靖国神社に祭られている。

同神社からの招魂通知書や、亡くなったとされる場所を記した資料などを公開している。

岡元会長は当時5歳で父親の記憶はないという。「母が寝る間もなく働いている姿を見て、父のいない苦労、寂しさ、戦争の残酷さを感じていった」と話す。

赤井順子さん(80)は、陸軍兵長として23歳で戦死した母の弟・定雄さんの遺品を並べている。一人息子で跡継ぎとして大切に育てられた定雄さんは1917年に入隊。戦地へ向かう息子を心配した母親が用意したお守りの千人針、飲み薬や軟こうなどを持ち戦地へ。18年2月1日、中国で亡くなり、遺骨とともに遺品が遺族に届けられた。村が葬儀を執り行い、天皇陛下、東條英機から贈られた香典や参列者の名刺、弔辞などを家族が大切に保管してきた。

終戦の年に生まれた順子さんは「大切な一人息子を失い、祖父母はものすごく悲しんだと母から聞いている。私は定雄の生まれ変わりだと言われ、祖父母に大切に育てられた。家は母が後を継ぎ、今は私が継いでいる」とし、「叔父より4倍長く生かしてもらい、命に感謝している。しっかり家を守っていきたい」と話す。

他にもマラリアで亡くなる直前に家族に宛てた「遺書」や、日章旗に書かれた激励のメッセージなど、生々しい戦争の記憶が残る品々約480点が並ぶ。

会場には同市で戦争の犠牲となった640人の名前を刻み、折り鶴を備える場所も設けている。

岡元会長は「展示したものを見て、その中の一つにでも心にとどめ、戦争の悲惨さや平和の尊さについて考えてほしいと願っている。多くの犠牲があったから今の平和があることを忘れないでほしい」と話している。

入場無料。午前9~午後5時。火曜休館。

問い合わせは同館(℡0736・63・1499)。