紙芝居で受け継ぐ戦争体験 池田香弥さん

子どもたちに紙芝居で戦争の悲惨さを伝える池田さん
子どもたちに紙芝居で戦争の悲惨さを伝える池田さん

戦後80年。戦争を知らない世代が多くを占め、戦争を実際に体験し、その記憶を語れる人がいなくなってしまう日が近づいている。そんな中、和歌山市の池田香弥さん(74)は、同市の山本喜美子さん(94)が1945年7月9日の「和歌山大空襲」で目にしたことを描いた紙芝居を受け継ぎ、子どもたちに伝えている。

「シューバンバンバン。息つく暇もないくらい弾が落ちてきます。私はガタガタ震えが止まりませんでした」

当時、山本さんは旧制高等女学校の3年生で15歳。和歌山城の西、男野芝丁の自宅にいた。その日見た地獄のような光景を自ら描き、紙芝居にして40年以上、子どもたちに伝える活動をしてきた。

池田さんは元和歌山放送のアナウンサーで報道記者。取材で山本さんと出会った。仕事を通じ親しくしているうちに「体が動きにくくなってきたから、ぜひあなたに後を継いでほしい」と頼まれた。池田さんは山本さんから思いを聞き、直接手ほどきを受けて7年前、紙芝居を受け継いだ。

このほど、岩出市の上岩出小学校で開かれた紙芝居の上演会では、児童22人が真剣な表情で紙芝居を見つめた。

「その日は暑い夜でした。ウーウーウー。10時過ぎにまた空襲警報のサイレンです」――。紙芝居は、静かに始まった。


空を黒く覆う、ものすごい数の飛行機がごう音を立てて弾を落としてくる。

「いつもと違う。和歌山を狙っている」

その音はどんどん近づいてくる。

「お城が燃えてるぞ!」

和歌山城は火が噴き出し真っ赤に。周りの家も一斉に燃え出し、あっという間にまちは火の海に。火の粉が吹雪のように飛んでくる。熱くて息苦しくて、燃えてしまいそうに熱い。3時間ほど爆撃は続き、夜が明けると見渡す所焼け野原。

「道のあちこちに電柱が倒れているよ」「ちがう。人や」

溝に顔を漬けた人、子どもを抱えた人、手を握り締めた人、通りには焼けて真っ黒になって死んだ人がたくさん倒れていた。


飛行機がごう音を立てて弾を落とす様子を伝える一枚
飛行機がごう音を立てて弾を落とす様子を伝える一枚

紙芝居では、当時の生々しい情景をありのままに描いている。

紙芝居の最後に池田さんは「戦争に負けた日本人は戦争の恐ろしさ、むなしさ、悲しさを知りました。空襲では私たちがアメリカから被害を受けましたが、日本軍も戦場で同じようなことをしてきました」と伝え「日本は戦争をしない国になりますと世界に示しました。この約束を大切に守り、戦争をしない平和な国が世界中に広がるよう願いましょう」と呼びかけた。

6年生女子は「テレビで見る戦争の映像より迫力があった」、5年生女子は「お城が燃えているところや、人が真っ黒焦げになっているところが怖かった」と話した。

池田さんは子どもたちに「なぜ世界から戦争がなくならないんでしょうか?」と問いかけ『アンパンマン』原作者のやなせたかしさんの言葉「戦争を語る人がいなくなることで、日本が戦争をしたという記憶が、だんだん忘れ去られようとしている。人間は、過去を忘れてしまうと同じ失敗を繰り返す生き物です」を伝え「きょう皆さんにお話したことを思い出し、戦争について考えてほしい」と話した。

池田さんによると、山本さんは「私が動けなくてもこの紙芝居が池田さんとともに受け継がれていることをありがたく思っている」と話しているという。

池田さんは今後も小学校やイベントなどで紙芝居を披露し、戦争の悲惨さ、平和の大切さを語り続けていく。