江戸時代の姿に木造再建 和歌の浦「観海閣」

初代紀州藩主の徳川頼宣が、和歌山市の「和歌の浦」に建てた水上楼閣「観海閣(かんかいかく)」の復元的整備が完了し、28日、現地でお披露目セレモニーが行われた。建立当時と同じ木造で再建。同日午後からは一般開放も始まり、訪れた市民らが江戸時代の趣を今に伝える水閣から美しい眺めを楽しんだ。

観海閣は、和歌浦の内海に浮かぶ小島「妹背山」の東端に位置する。1650年ごろ、初代紀州藩主・徳川頼宣が、対岸の紀三井寺などを眺望する水閣として建立し、広く民衆に開放。度重なる高波被害を受け、再建や修繕が行われてきた。
昭和38年(1963)には県が公園施設として鉄筋コンクリート造りで再建し、60年近くにわたり親しまれてきたが、老朽化が進んでいた。2010年に和歌の浦が「国の名勝」に指定されたことを受け、県では再建を検討。20年度から総事業費約4億円を投じ、現存する資料や戦前の写真などを基に、江戸時代後期の姿にならい、木造建築での復元を進めていた。
完成した観海閣は、木造1階建てで延べ面積は62平方㍍。県産ケヤキを使用している。
和歌の浦アート・キューブで行われた式典には関係者らが出席。宮﨑泉知事は「次世代へ文化や技術を継承していく意味でも、地域のにぎわいを取り戻す意味でも、交流や観光の拠点として期待している」、和歌山市の犬塚康司副市長は「復元を契機に、地域の皆さまの誇りや愛着がさらに深まり、訪れる方々にとっても、この地の歴史と文化を身近に感じていただければ」と祝辞した。
観海閣では、紀州雑賀鉄砲衆による大迫力の鉄砲演武に続き、鏡開きで完成を祝った。
和歌山雅楽会や桐蔭高校箏曲部のメンバーらによる演奏もあり、同市の女性(68)は「とても風情のある建物で、和歌の浦の価値が一層高まったと思います。雅楽も箏も、この場所にぴったりですね」と笑顔。
和歌浦地区の梶間敏之連合自治会長(69)は、「頼宣公が民衆にも開放し、花見をしたとも伝えられる。これほど立派に復元していただけるとは夢にも思わなかった。この美しい景観を地域の宝として大切に守り、みんなで一緒に楽しめる建物として、次の世代へ伝えていきたい」と話していた。
伝統工法で復元整備 観海閣の設計担当者ら講演
完成した観海閣そばにある、あしべ屋妹背別荘では記念講演会が開かれ、設計担当者ら3人の講師が、復元における技術的考察などについて講演。意匠だけでなく伝統工法を用いて復元された同事業の歴史的・文化的価値について話した。
紀の国はまゆう和歌公園管理事務所、名勝和歌の浦あしべ屋妹背別荘が共催し、約110人が参加。
復元に関わった県文化財センター文化財建造物課の多井忠嗣課長は、文化財保護の国際的基準である「オーセンティシティ(真正性)」に基づいて復元整備を進めたことを紹介した。

残された記録によると、今回完成した観海閣は4代目であると説明。整備にあたっては、慶應3年(1867)再建の2代目を復元の基準に定め、地元の写真家が記録に残していた複数枚の写真をCADで分析。伝統的な大工技法における設計基準の「木割」にもとづいて部材の寸法を算出し、かなり正確に復元したと話した。
写真の分析から2代目の木材はケヤキと判明し、今回は県内産ケヤキを使用。「材料と形を過去と同じにするのでなく、工法も江戸時代の伝統的な工法を基本に再現したことに、復元的整備の価値がある」と話した。
県立博物館の佐藤顕学芸員は、頼宣と母・養珠院(お万の方)の人物像に迫った。養珠院は、夫・家康の供養や世の中の安寧を願い、妹背山の多宝塔に法華経の題目「南無妙法蓮華経」を記した15万個を超える経石を埋納したことにふれ、「経石の埋納が、供養の在り方の先駆けになったと考えられる」とした。また、老年になっても母を思い続けた頼宣のエピソードを紹介した。
和歌山大学の藤本清二郎名誉教授は、「頼宣が創建、民衆が再建した拝殿」を演題に、頼宣によって創建された観海閣は、時代が下るにつれ、藩民有志や行政が再建・修繕を繰り返すことで守り伝え、民衆の宝へと移り変わってきたことを話した。


