元島民の角鹿さんに聞く 中学生研修リポート②

故郷への思いを話す角鹿さん
故郷への思いを話す角鹿さん

研修2日目、生徒たちは、根室市穂香の北海道立北方四島交流センター(ニ・ホ・ロ)で、元島民で語り部の角鹿泰司さん(89)から、島での暮らしや旧ソ連軍が侵攻してきた時の様子などを聞いた。

角鹿さんは現在、公益社団法人千島歯舞諸島居住者連盟理事、千島歯舞諸島居住者連盟根室支部の支部長、勇留島和合会の顧問を務める。

歯舞群島・勇留(ゆり)島で、コンブ漁などを営む家で8歳まで暮らした角鹿さん。冬は海を覆い尽くす氷で遊び、両親に叱られていたことや、崖を登りカモメの卵を採集したこと、運動会で食べる弁当が楽しみだったことなど、島民が助け合って生活していたことを紹介した。

1945年8月15日正午、島民は島に一つしかなかったラジオの前に集まり、「戦争終結」を知ったという。直後の9月3日昼過ぎ、3人のソ連兵が、土足で角鹿さんの家に上がり込んできた。手に銃を持ち大声を張り上げ、砂埃を巻き上げながら仏壇や押し入れなどを荒らした。

その後、ソ連兵は8歳だった角鹿さんに銃を突き付けた。角鹿さんは「今でも鮮明に覚えている」と死の恐怖を話した。ソ連軍は、それから3日置きに各島を見回りに来た。

若者が続々と連行される姿を目の当たりにした角鹿さん一家は、逃亡を決意。46年4月18日、深夜に漁船で極秘脱出し、命懸けで対岸の根室へ逃げ延びた。

本土へ引き揚げた後は、開拓地での過酷な生活を強いられ、「なぜ逃げないといけないのか」と故郷を奪われた無念や怒りを抱えて生きてきた。「すぐに帰れる」と信じていたが、願いはかなわぬまま約80年が経過したと悔しさをにじませた。

元島民の高齢化が進む中、当時の悲劇と島の記憶を語り継いできたが「私には先がない。若い世代に正しい歴史と事実を知ってもらい、日本中に広げてほしい」と強く訴えた。

生徒から「島に戻れるなら最初に何をしたいか」と問われ、角鹿さんは「島の土を踏みしめたい。磯の香りをかいで、姉が眠る墓に参りたい」と答えた。西浜中学校3年生の工藤千寛さんは「戦争が終わってから攻めて来たのは納得いかない。私たちに何ができるかを考えて発信していきたい」と話した。