ヤング米国臨時大使が龍神村を訪問 B29搭乗員慰霊碑に平和の思い込め献花

去る、6月5日・6日の両日、私はジョセフ・ヤング駐日米国臨時代理大使ご夫妻を和歌山県に案内致しました。私とヤング大使は、これまで日ごろから「日米同盟の深化」や「外交の諸課題」について、定期的に意見交換を行ってまいりました。昨年、ヤング大使と会談を行った際、私は第二次世界大戦中、和歌山県龍神村(現田辺市)の殿原地区にあった、ある史実を紹介しました。殿原は私の母、(旧姓:古久保)菊枝が生まれ育った地でもありました。
昭和20年5月5日。サイパンを飛び立ったB29爆撃機は広島の呉を目指すものの、天候不良により目標地点を紀伊半島に変更、その時、当該機は日本軍戦闘機に撃墜。龍神村殿原付近の山中に墜落。記録ではアメリカ軍の若き乗員11名のうち7名が死亡。一方、4名は生存したと記されています。
その際、龍神村殿原地区の皆さまが実に人間愛にあふれた介抱・埋葬・供養を行い、終戦から70年以上経過した今も毎年5月に慰霊祭が執り行われています。当時を知る人の話では、地元民の皆さまは極めて貴重だった白米を生存兵に分け与えたり、亡くなった兵士を埋葬したりと献身的に対応されたそうです。また、終戦を迎えるより前の6月には搭乗兵の慰霊碑を建立し供養を営んだとのことです。
私はこの歴史の事実をひとりでも多くのアメリカ人に知っていただきたいという思いから、ヤング大使に紹介しました。大使はその場で龍神村を訪問したいとの希望を述べられました。先月、大使から電話を頂き、「この度、任期を終えて帰国することになった。殿原訪問という二階幹事長との約束を果たして帰りたい」との話を改めて頂戴し、今回の慰霊・献花が実現しました。
現地を訪問したヤング大使夫妻は地元区民の代表、小泉龍司自由民主党国際局長、真砂充敏田辺市長、安達克典田辺市議会議員(龍神村選出)が見守る前で、平和の願いを込めて慰霊碑に献花され、紀伊半島南部の固有種「クマノザクラ」を植樹していただきました。大使は「戦争中にもかかわらずこの村の人は搭乗兵に優しくしてくれた。日本人が持つ深い思いやりの心は今でもアメリカ人を感動させる。今後も日米間の友情を深めるため努力を続けていきたい」と述べられました。
私自身、当時は小学校1年生でした。疎開先の稲原村(現印南町)の小学校のグラウンドはイモとトマトを植えた畑に変わり、子ども心に何かと我慢する日々でした。戦争の記憶は決して消えることはありません。あの頃を思えば、今の平和な時代のありがたさが骨身に染みる一方、これからも子どもや孫の時代が戦争のない平和な時代であってほしい。そして、その責任を今、改めて感じます。
また、殿原の地で今日までただひたすら平和の尊さを思い、史実を語り継ぎ、慰霊碑を守って下さった、殿原区の郷土史家である古久保健さん(83)に尊敬と感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。古久保さんは私より1学年先輩にあたり、実のお父さまの顔を一度も見ることなく戦争で亡くされました。どのような思いでこれまで米軍搭乗兵の慰霊を続けてこられたかを思う時、深瀬武文殿原区長をはじめとする地元の関係者にはそこに込められた切実なる思いを次の時代にも絶やすことなく語り継いでいただきたいと思います。
私も、先祖から同じ殿原の血を受け継ぐものとして、「世界平和」実現に全身全霊を尽くすことを固く決意したいと思います。