「高速道路紀伊半島一周」は最終段階へ 串本太地道路起工・有田印南間4車線化

「高速道路紀伊半島一周」
今から38年前、私が国政初挑戦の時に訴えた最初の公約はいよいよ実現に向けて、最終段階となってまいりました。紀伊半島にとって、「命の道」であり「希望の道」でもあるこの道路は、ふるさと和歌山の同志の皆さんとともに勝ち取った「道」でもあります。
来る、12月25日には国道42号「串本太地道路(延長18・4㌔)」の起工式が執り行われ、開通に向けた工事がさらに進むこととなります。また、12月18日には近畿自動車道紀勢線の有田IC~印南IC間の4車線事業が開通し、慢性化していた渋滞が大きく緩和される効果が期待されます。この喜びを県民の皆さんとかみしめたいと思います。
私は大学卒業と同時に静岡県選出で建設大臣を歴任された、遠藤三郎代議士の秘書として、政治の道を歩み始めました。当時、遠藤代議士は高度経済成長期にあって日本列島の大動脈である高速道路の必要性を訴え、「東名高速道路建設促進議員連盟」の会長を務め、私は来る日も来る日も先生の下で、東名高速実現のために奔走しました。
その後、故郷・和歌山の発展を胸に帰郷し、県議会議員として政治家人生をスタートしました。しかしながら、当時の和歌山県の高速道路は海南までの僅か24㌔しか開通しておらず、全国最下位でした。都道府県の全国平均が163㌔、下から2番目の長崎県が70㌔。加えて、当時の第三次全国総合開発計画案に記された7600㌔の計画には紀伊半島は一切触れられていませんでした。まさに地図も計画も白紙そのものでした。悔しさを通り越し、ただただ愕然とする思いでした。このままでは、子どもたちや孫たちの世代に素晴らしい故郷を残せるのか。そこから、私にとって「高速道路紀伊半島一周」との戦いが始まりました。
「政治の原点はふるさとにあり」
県議会議員2期、衆議院議員13期の政治生活のすべては、和歌山県の発展のためにあり、その1丁目1番地ともいえる政策が高速道路でした。そしてそれを突き動かした原動力は半島故に発展を後回しにされた悔しさと、そのことで日々苦しまれていた同志の皆さまの切実な声でした。
時を経て間もなく、「高速道路紀伊半島一周」は現実のものとなります。しかしこれはゴールではありません。紀伊半島はまさにこれから新時代を迎えます。またこの先、人口減少、気候変動、南海トラフ巨大地震等々、経験したことのない、多くの困難な課題が立ちはだかっています。私たちは、この高速道路を武器に新時代を切り拓き、課題を乗り越え、先輩たちから受け継いだ素晴らしい故郷・和歌山を次の世代に引き継いでいく責任があります。
高速道路、国土強靭化はふるさとを守り、国を守り、皆さんの大切な人を守ります。私は残りの政治生命すべてを和歌山発展のために捧げる覚悟です。皆さん、共に力を合わせて頑張りましょう!