ブルーインパルスの飛来を願う 美浜町制70周年、籔内町長の想い

「コロナ禍でうつむきがちだった町民に、夢や希望を抱いて再び空を見上げてほしい。美浜町をこれまで築いてくださった先人の皆さまに感謝の気持ちを伝えたい。小さな町ではあるけれど自慢の煙樹ヶ浜の上空に、町制70周年記念事業として航空自衛隊ブルーインパルスを誘致したい」。美浜町の籔内美和子町長が私を訪ねて来てくださったのは昨年の8月でした。県内唯一の陸上自衛隊駐屯地が展開されている美浜町の町長として熱い想いを語ってくださいました。全国各地でブルーインパルスの人気は非常に高く、例年希望が殺到しておりその倍率は何十倍にものぼると伺っています。しかしながら、私は町長の想いを受け、これまで町民の皆さんが自衛隊駐屯地を受け入れ、地域とともに歩んで来られた歴史を考えれば、何としても実現に向けてお手伝いさせていただきたいと思い、防衛省との交渉に入りました。
美浜町は紀伊水道に面した温暖で海の非常にきれいな町です。近畿地方最大の松林である煙樹ヶ浜が広がり、近年ではサイクリストやキャンプ愛好家の間で大変人気のある素晴らしい町です。また、明治時代から鮭漁のため町内の三尾地区からカナダの漁村への移住が盛んになり、昭和の初期には延べ2000名を超える移民を輩出しました。出稼ぎや長期生活を終えた後に帰国した人々の中には、カナダでの生活様式を持ち帰った人もいて、今でも町内には何となく異国情緒を感じる風景も残されている特色のある町でもあります。
その美浜町に陸上自衛隊駐屯が展開されたのは、昭和28年に発生した紀州大水害(7・18水害)がきっかけでした。私も隣接する御坊市で被災しましたが、まさにその光景は筆舌に尽くしがたい悲惨なものでした。復興後の昭和36年に和歌山県や美浜町が今後の自然災害に備える観点から、誘致活動を行い、昭和37年に信太山駐屯地和歌山分屯地として開設された経緯があります。以来、海上自衛隊由良基地並びに航空自衛隊串本分屯地とともにわが国の安全保障上の役割はもとより、紀伊半島の防衛、地域の災害活動に大きく寄与いただいていることは周知の事実であります。
先日、防衛省の増田和夫事務次官が私を訪ねてくださいました。その際、私が平成15年に自民党に復党する際、時の小泉純一郎総裁と政策合意が交わされ、その第一項目が「防衛庁の省昇格」であったことを述懐してくださいました。小泉総裁はそれを受け入れてくださり、また党内で慎重論が多かった公明党では冬柴鐵三幹事長が理解を示して努力を重ねてくださったことを思い出します。好むと好まざるとにかかわらず、国際情勢が緊迫する中で、防衛省や自衛隊の果たす役割と責任はこれからさらにその重さを増す時代に入ります。また、能登半島地震の現場を通じても分かるように、全国で発生する災害時に、最も困難な地域にいち早く駆けつけてくれるのは自衛隊です。日頃の彼らへの感謝を胸に、自衛隊とともに歩んでくださった美浜町にブルーインパルスが飛来することを願いたいと思います。
そして美浜町制70周年を迎える本年、籔内町長の悲願が実現することを願いたいと思います。