建築家・森川清太郎 貴重な設計図面見つかる
大正から昭和の戦前にかけて和歌山県内で活躍した和歌山市の建築家、森川清太郎(1889―1947)が描いた設計図面などが、市内で大量に見つかった。当時の建築物をうかがい知ることができる貴重な資料で、ひ孫にあたる同市の細畠美鶴さん(61)は「図面から曽祖父のルーツと人となりを読み解き、建築物のあった場所や歴史を探りたい」と、情報提供を呼びかけている。
森川は和歌山市で生まれ、59歳で亡くなった。細畠さんの母親の実家の仏壇に清太郎の遺影が並んでおり、親戚らと話に上がっても、建築家としての詳しい仕事ぶりまでは知らなかったという。
昨年9月に、大工道具などが入った重厚な五つの木箱を譲り受けた細畠さんは「曽祖父の気持ちがこもっているようで、開けるのには勇気が要った」と話す。
12月に、建築家で県建築士会副会長の中西重裕さん(65)と改めて調べたところ、4箱に60点以上の大工道具、1箱に100枚以上の図面が入っていた。「白雲寳國寺本堂建築工事」「御坊臨港鐵道株式会社(現紀州鉄道)建築工事」「東内原村小学校建築工事」「串本公會堂建築工事」「新宮町上中熊野地區集會所」「湯崎温泉場菊屋旅館増築工事」などと書かれた約15物件分を確認。烏口(からすぐち)という墨の筆記具で、細かく丁寧に描かれていた。中西さんは「正確に手描きされていて、しかもそろっているのは珍しくとても貴重。当時の建築技術を検証できる」と話す。
手描きで緻密な仕事 遊び心あるサイン
1階に売店と大家の部屋、2階に貸し家を設計した「アパート及賣店」の図面は、各階の平面図、正面や側面の立て面図、基礎の図など八つの図が1枚に描き込まれ、注文者名と施工会社名が添えられている。中西さんによると「細かく描き込まれていて、これ1枚を大工さんに渡せば家が建つ」という。
物件名から御坊、田辺、白浜、串本、新宮など、紀南方面の学校、公会堂、寺、駅舎といった公共の建築物が多い。細部まで描かれ、注文主などの情報が記載されていることから、実際に建てられ存在した物件と推測されるが、建て替えたり戦争で焼失したり、現存しているものはほとんど確認されていない。
道具箱には、カンナや手動ドリル、円定規などがあり、中には、「チョウナ」と呼ばれる木を削る珍しい道具もあった。箱の裏に「大工 森川清太郎 持ち箱」という意味で「良以久 毛利加和世惠多呂 毛知波古」と語呂合わせで記名したり、図面にイニシャルのS・Mを組み合わせて作ったオリジナルのサインを添えたりと、ユニークな性格も垣間見える。
図面から当時を想像 現在とのつながりも
中西さんが実行委員長を務める「森川清太郎の図面を見る会」は、森川について広く知ってもらおうと、このほど和歌山市手平の和歌山ビッグ愛で一般向けの展示会を開いた。県文化遺産課から建築史学や民俗学担当の職員が調査し、清太郎の子孫らも訪れ、図面や道具から当時に思いをはせた。
会場に足を運んだ南方熊楠記念館(白浜町)の谷脇幹雄顧問は「建築物にはその時代の地域や人の特性がうかがえ、当時のにおいが感じられる」と熱心に見入っていた。情報を聞き来場した、白浜町で「きくや旅館」の14代目を継ぐ菊原章さんは「話を聞いた時はびっくりした。(菊屋旅館の図面を見ると)現在の館内の至る場所にそれぞれの面影がある。崖の上にある旅館だが、『よくこんな所に造ったな』と当時の人の気概が伝わってくる」と話した。
細畠さんは「図面はとても美しく芸術的です。図面の緻密さや手入れされた道具に、人柄が伝わってきました。もっと曽祖父のことを知りたいし、建物に心当たりのある人がいたら、図面の存在を知ってもらい、思いを巡らせてもらいたい」と話した。
道具と図面は県への委託を予定している。情報提供や問い合わせは細畠さん(℡070・8537・0856)。