謝罪も賠償の支払いもなく 紀の川市児童殺害

都史さんの遺影に手を合わせる悦雄さん
都史さんの遺影に手を合わせる悦雄さん

和歌山県紀の川市で小学5年生だった森田都史(とし)さん(当時11)が刺殺された事件は、来年2月で発生から10年となる。殺害した中村桜州(おうしゅう)受刑者(31)からいまだ謝罪はなく、中村受刑者に約4400万円の損害賠償の支払いを命じた民事訴訟判決から6年が過ぎても、賠償金は一切支払われていない。都史さんの父親・悦雄さん(76)は「いくら時がたっても苦しみは全く変わらない」と、癒やされることのない無念の思いを語る。

事件は2015年2月5日午後4時15分ごろ、同市後田の閑静な住宅街で起きた。自宅近くの空き地で遊んでいた都史さんは、刃物で頭や肩など10カ所以上を刺され、左胸の傷は心臓を突き抜け、頭蓋骨は折れ、両腕にも多数の切り傷が残されていた。

病院に駆け付けた悦雄さんが目の当たりにしたのは、全身に包帯を巻かれ、心肺停止状態の都史さん。医師からは「むごすぎて体は見せられない」と言われた。「握るとまだ温かかった手が、だんだん冷たくなっていった」。耳元で「お父さんが来るまでよう頑張ったな。ありがとう」とささやいた数分後、生命維持装置が外され、死亡が確認された。

中村受刑者は犯行当時22歳。19年7月、殺人罪などで懲役16年の2審大阪高裁判決が確定した。「罪のない人を殺して懲役16年…。風船のように軽い判決や。納得できるわけがない」と悦雄さんは憤り、「お父さんにはこんな力しかない。すまない」と都史さんの遺影に頭を下げた。

謝罪の言葉一つ受けることなく、裁判費用などの経済負担までのしかかった悦雄さんは、せめてもの償いをと民事訴訟で損害賠償を求め、和歌山地裁は18年8月末、中村受刑者に約4400万円の支払いを命じる判決を下したが、全く支払われていない。

「納得できるまで納骨はできない」――。都史さんの遺骨は今も、自宅の祭壇に置かれている。その隣には、都史さんが当時履いていたピンクのスニーカーがあり、血で染まっていたのを何度も洗ったという。サイズは24㌢。がっしりした体格だった。

都史さんが寂しくないように、悦雄さんはずっと祭壇の前に布団を敷いて眠っている。夢に都史さんがしょっちゅう現れ、笑顔で話しかけてくるという。

事件がなければ、都史さんは20歳を超えている。「子どもの頃からキムチなどからいものが好きで、きっと将来はお酒が好きになると思っていた」。夏はビール、冬は熱かんを遺影の前に置き、一緒に飲む。写真の口元にビールを近づけると、「写真の顔が笑い、酔ったように赤くなることもある」と悦雄さんはほほ笑む。

「野球、サッカー、スケートボードなどスポーツが得意で、ゴルフを教えると150ヤード飛ばしていた。一緒に酒を飲み、ゴルフのコースを回りたかったな」と声を震わせる。

「あと数年後には中村受刑者が出所し、何事もなかったかのようにこのまちに戻り、普通に暮らす可能性もある」と怒りをにじませる悦雄さん。「このままではあまりに無念。親の責任が追及できないか、何か戦う手はないか、弁護士などに相談したが、どうにもならないと言われた」。やりきれない思いは募る。

「二度と同じことが起きないよう、事件を風化させてはならない」と、悦雄さんは現在、「犯罪被害補償を求める会」(神戸市)に参加。講演活動やメディアの取材を受けることを通じ、事件のことや遺族の思い、犯罪被害者の厳しい現状を伝えている。

同会の藤本護代表理事は「加害者の多くは資産がなく、賠償を求めても払えず、あっても払おうとしないことが多い。今の犯罪被害者補償制度では、被害者が泣き寝入りせざるを得ない。国が損害賠償を立て替え、加害者に求償する制度が必要」と訴える。

悦雄さんの目標は100歳まで元気でいること。幼い頃の都史さんと、「お父さん、3桁になるまで元気でいてね」と指切りをした約束を忘れず、無念が晴れる日まで戦い続ける。