和歌山市から全国へ 上地流唐手道創流100周年

道場を受け継ぐ友寄隆兄館長㊧
道場を受け継ぐ友寄隆兄館長㊧

和歌山市で生まれ、全国に広まった上地(うえち)流唐手(空手)道が、ことしで誕生から100年を迎えるのを記念した演武会が、同市新和歌浦の和歌浦芸術区で開かれた。全国から約60人の門弟らが技を披露し合い、節目の年を祝った。

上地流唐手道は、中国拳法の「パンガヰ(イ)ヌーン(半軟硬)拳法」を源流とする流派。沖縄伝統唐手流派の一つで、国内外に多くの愛好者を持つ。開手(手の平)を多用すること、指先を伸ばして相手を突く攻撃、足の指先を使った足先蹴りなど急所への鋭いピンポイント攻撃が特徴。接近戦を前提とした実戦的な攻防スタイル。


100年前の出会い

始まりは同市手平の昭和紡績で働いていた友寄隆優(1897―1971)と、沖縄県出身で同工場に職を求めて移住した上地完文(1877―1948)との出会いからだった。

上地完文は、中国(当時清朝)福建省に渡り、南派少林拳(虎形拳)の名手、周子和から拳法を学び、約10年間の修行を経て免許皆伝。道場を開き中国人に拳法を伝授。その後沖縄に戻り、農業に従事していたが、生活苦を解消しようと1924年、当時多数の紡績工場があり、多くの沖縄出身者が勤務していた和歌山市手平に移った。

そこで友寄と出会い意気投合。上地の中国での話を聞き友寄が「教えてほしい」と熱く要望。25年に会社社宅の一室で2人は秘密裏に拳法を教え、学び合った。

2人の稽古を知った従業員らから「自分たちも習いたい」との声が上がり、上地は自宅兼道場を開き、正式な指導をスタート。友寄は一番弟子となり免許皆伝。手平に和歌山隆聖館友寄道場を開いた。

友寄と共に門弟となった上地完文の長男・完英(1911~91)が大阪・兵庫に転居して道場を開き、終戦後は沖縄に帰郷。沖縄伝統の唐手を取り入れて進化させ、県人や沖縄駐留の米軍将校に指導。関西から沖縄、日本全国、海外へと上地流を広めた。

100年を祝う門弟たち
100年を祝う門弟たち
思い今も受け継がれ

友寄が開いた道場は今も受け継がれ、現在は創始者・友寄隆優の孫である隆兄が(62)が館長を務め、小学生から60代まで10人が所属。毎週1回集まり鍛錬している。

友寄館長は9歳から上地流唐手を習い始め、星林高校を卒業後、名古屋の大学で学んだ後、バンドを組み音楽活動。父・隆吉の急死により、20年前に和歌山に戻り跡を継いだ。

友寄館長は「上地流は型を隠すため、外に出さないことを基本とし、秘密裏に続けてきた。それが多くの人により100年継承されてきたのは奇跡。次につなぐ大切さを改めて感じている」と話す。

演武会には和歌山隆聖館友寄道場と、上地完英が開いた道場を受け継ぐ兵庫県の巴会塚口道場、東京都、神奈川県、岡山県の修武会が参加。技の披露や沖縄民謡を歌い踊り、先人の辛苦と武徳に思いをはせ、交流を深めた。翌日は、上地流唐手ゆかりの地を散策。同市手平の昭和紡績と社宅があった場所、上地が自宅兼道場を開いた跡地などを巡った。

友寄館長は「上地流の歴史を振り返り未来への新たな一歩を踏み出す記憶に残る一日になった」と話していた。