古写真の情報求む 和中野球部と天狗倶楽部
高校野球界屈指の古豪、旧制和歌山中学校(現県立桐蔭高校)が、戦前のアマチュアスポーツ振興に貢献した社交団体「天狗倶楽部」と交流した際に撮影したとみられる大正5年(1916)ごろの写真が東京都内で見つかり、発見した研究者の鈴木康允さん(76)=千葉県船橋市=は、この写真に関する情報提供を呼び掛けている。
天狗倶楽部は明治42年(1909)ごろ、野球好きの冒険小説家、押川春浪を中心に発足し、当時のアマチュアスポーツ界の人々が名を連ね、特に野球と相撲の振興に尽力した。
鈴木さんによると、今回発見された写真の中央で天狗が描かれた旗を持っているのは平岡養一(当時9歳前後)。後に著名な木琴奏者となる人物で、養一の父は、和歌山中も出場した第1回全国中等学校優勝野球大会(現在の夏の甲子園)で副審判長を務めた平岡寅之助。
寅之助の兄・平岡凞(ひろし、1856―1934)は、日本初の野球チームを創設し、日本で初めてカーブを投げたともいわれており、昭和34年に正力松太郎、澤村榮治らと共に最初の野球殿堂入りを果たしている。また、日本初の民間鉄道車両メーカー、平岡工場の設立者でもあり、妻は紀州藩の御典医の娘で、和歌山との縁もある。
写真を発見した鈴木さんは、凞が経営する会社の野球チームで祖父が初代監督を務めた縁などから、凞について調査、研究している。
今回の写真には、ユニホーム姿の和歌山中野球部と天狗倶楽部のメンバーらが写っているが、撮影の詳細は不明。和歌山中の資料にも、天狗倶楽部の記述は見当たらないという。
開校100年記念で出版された『高校風土記 和歌山中~桐蔭高』(毎日新聞社編)によると、和歌山中に野球がもたらされたのは明治30年。当時は、それらしく削った材木をバットに、米袋や座布団などをベースとし、素手とはだしで柔らかい素材の球を使っていたが、手軽に楽しめるため人気があり、翌年には「野球部らしきもの」ができたという。
写真が撮られたとみられる大正5年ごろには、全国中等学校優勝野球大会も始まっており、和歌山中は全国屈指の強豪として名を知られるようになっている。
写真に関する情報提供は鈴木さん(℡047・338・3689)、または本紙編集部(℡073・433・6114)へ。