真田探訪② 城へ通じる「抜け穴」

前号では、九度山に幽閉されていた幸村が豊臣秀頼の招きに応じ大阪城へ入場し、城の南方に築いた「真田丸」の構造と「大坂冬の陣」の歴史にふれた。今週は、真田丸跡に位置する「三光(さんこう)神社」に今も残る「真田の抜け穴」を紹介したい。

真田の抜け穴がある三光神社は、大阪城の南東約1・5㌔の真田山(標高10㍍)に位置する。古くから中風(ちゅうぶう)除の神として知られている。中風とは脳卒中などの後遺症として現れる腕や脚のしびれやまひで、治癒を祈る参拝者が全国から訪れるという。

境内には幸村の銅像が建ち、その傍らに「真田の抜け穴」がある。かつては大阪城と地下でつながっていたとされ、現在は鉄の扉で閉ざされている。抜け穴はこの他にも近隣の陣地に複数存在したといわれ、それぞれが結ばれていたことから幸村が即座にあらゆる陣地に顔を出したことで、徳川率いる敵軍をかく乱させたともいわれる。九度山町に残る「真田の抜け穴」と同じく石積みでつくられた空間は、それとよく似ており、穴の中で今もなお400年以上前の真田丸の空気が漂うように感じるのは筆者だけだろうか。

抜け穴は、11月の第1日曜(ことしは11月6日)に限り一般公開される。抜け穴の上には、六文銭があしらわれた木製の楯と赤備えの旗が立てられ、大坂冬の陣における真田の鉄砲隊による徳川の軍勢への猛攻ぶりを思わせる。幸村の銅像との記念撮影や抜け穴をのぞき込む参拝者が多く、六文銭があしらわれた絵馬や大坂冬の陣の武運をあやかる御守りなどを買い求めていた。

アクセスは市営地下鉄玉造駅から南へ約200㍍、環状線玉造駅から西へ約300㍍。真田丸の歴史を感じたい方はぜひ参拝を。

幸村像と「真田の抜け穴」

幸村像と「真田の抜け穴」

(次田尚弘/大阪市)