大正創業の大衆割烹 丸万91年の歴史に幕

大正15年に創業し、県内の飲食店で有数の歴史を誇った和歌山市友田町の大衆割烹「丸万」が3月末、惜しまれながら閉店した。親子2代にわたり、永年親しまれてきた名店。創業から91年がたち、自身の年齢を節目に決意したという2代目店主の榎本宗太郎さん(81)は、「今が引き際だと思った。やり切ったという達成感はある」と話している。

「丸万」は大正15年、大衆酒場の先駆けとして、同市中心部の築地に榎本さんの父・庄三さんが創業。終戦直後にJR和歌山駅前に移転した。

2代目の宗太郎さんは近代的な経営で知られた。東京の大学で経営を学び、繊維関係の大手メーカーで働いた後、29歳で和歌山へ。3年後に父が他界し、店を継ぐことに。サラリーマンからの転身には戸惑いも大きかったが、「大衆に徹する」という父の教えを大切に、「『うまい、安い、良心的で接客が良い』店を目指して、都会のセンスを経営に生かしてきたつもり」と榎本さん。

料理は、父と共に店に立った2年半の間に教わり、料理が得意な妻の篤子さん(77)と共に店を切り盛りしてきた。

昭和40年半ばには、県内で初めて一年中キリンの生ビールを販売し大ヒット。キリンに加え、菊正宗を取り扱う専門店として名をはせた。榎本さんは「今でこそ生ビールは年中あるが、当時は、うちぐらい。この二つの銘柄を一筋に通したことが、成功の鍵だったのでは」と振り返る。

その優れた経営手腕が注目され、キリンビール主催で、大勢の業界関係者を前に講演したこともあった。

店は午前11時に開店。1階にはカウンターや座敷など約40席、5階には宴会場を設けた。駅前という立地の良さから、味にうるさいツウの集まる大衆酒場として、その客層も多彩さを誇っていた。

名物は、父の代から人気のどて焼き。加えて、同店のために豆腐店が手作りした特製豆腐を使った湯豆腐。それら人気メニューは客のほとんどが注文していたという。

当時は飲食業で大学出の店主は珍しく、「インテリ酒場」と言われることも。客から相談を受けることも多かった。経営は常に順風満帆。支店展開をせず、単独店を貫いたことも成功の一つといい「赤字になった月は、一月もなかった」と胸を張る。

閉店を決めてから、常連客からは「もっと続けてほしい」「行く店がなくなる」など、惜しむ声も多かった。特に体力的な心配はなかったが、「倒れてから店を畳むよりは、今がやめるタイミング」ときっぱりと線を引いた。寂しさは大きいが、後悔はない。「仕事一筋の古い人間。趣味もないから、これからの時間をどうやって過ごすかな」。

まだまだ不安定と受け取られることが多い飲食業界。今後については「タケノコのように出ては、つぶれる店を多く見てきた。今はどこか安直な店が多いのではないかと思います。襟を正した営業が大切。若い人の新しい感覚で時代に適した店を展開し、業界を発展させてくれることを期待します」と話している。

店と共に歩んだ日々を振り返る榎本さん

店と共に歩んだ日々を振り返る榎本さん